丸井金猊

KINGEI MARUI

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キーワード:神工

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2010年 芸工展「デザイン教師の貌」

丸井先生の思い出
豊島夫妻(神工 産業デザイン科 2期)

丸井先生の思い出

芸工展2010 - 丸井金猊「デザイン教師の貌」で神工卒業生に出品協力をお願いし、プロフィールと共に書いていただいたご夫婦のショートメッセージ。「デザインを介して、人生観を教わりました。」「厳しかったけど、好きです。」と綴られる。

2010年 芸工展「デザイン教師の貌」

丸井先生の思い出
櫻井 徹(神工 産業デザイン科 2期)

丸井先生の思い出

芸工展2010 - 丸井金猊「デザイン教師の貌」で神工卒業生に出品協力をお願いし、プロフィールと共に書いていただいたショートメッセージ。「レタリングの授業では明朝体を使って独特の表情あるフォントを生み出されていた。その授業で、ちょっとした細かい工夫でもデザインになるんだという事を教えていただいたのだと思う。」と綴られる。

2010年 芸工展「デザイン教師の貌」

妥協を嫌う頑固一徹!
荻野幸夫(神工 産業デザイン科 2期)

妥協を嫌う頑固一徹!

芸工展2010 - 丸井金猊「デザイン教師の貌」で神工卒業生に出品協力をお願いし、プロフィールと共に書いていただいたショートメッセージ。「丸井先生にはけっこう怒られていました。生意気にも口答えしてましたから。妥協を嫌う頑固一徹!っていう先生でした。」と綴られる。

2010年 芸工展「デザイン教師の貌」

マルキンさん
阿部信雄(神工 産業デザイン科 2期)

マルキンさん

芸工展2010 - 丸井金猊「デザイン教師の貌」で神工卒業生に出品協力をお願いしたところ、阿部信雄さんだけ、作品ではなく、テクストでということでいただいた原稿。元原稿は縦書きで美しくレイアウトされ、「マルキン」というニックネームのこと、授業内容のことなどが綴られる。

tea time わが母校(出典不明)

質・量ともに大学レベルに達していた図案科
浅葉克己(神工 工芸図案科 8期生)

質・量ともに大学レベル

神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第8期生 浅葉克己さんが、tea time わが母校「質・量ともに大学レベルに達していた図案科」に書かれたエッセイに「丸井金蔵先生には日本画や伝統的な図案、レタリングの基本などを」と金猊についての言及がある。

1997年 その周辺の人たち展文集

丸井先生の思い出
柳町恒彦(神工 工芸図案科 8期生)

丸井先生の思い出

丸井金猊とその周辺の人たち展(1997年)文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第8期生 柳町恒彦さんのメッセージ。「英文字の研究、日本文字、明朝体とくに資生堂明朝の説明には熱がこもっていたことを思い出す」といったエピソードが綴られる。

1997年 その周辺の人たち展文集

お忘れではありませんよね‥‥先生!
小泉禎一(神工 工芸図案科 4期生)

お忘れではありませんよね‥‥

丸井金猊とその周辺の人たち展(1997年)文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第4期生 小泉禎一さんのメッセージ。正倉院宝物「平螺鈿鏡」の模写課題についてのエピソード。

1997年 その周辺の人たち展文集

丸井先生。
細谷巖(神工 工芸図案科 4期生)

丸井先生。

丸井金猊とその周辺の人たち展(1997年)文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第4期生 細谷巖さんのメッセージ。「課題で正倉院御物の宝石箱の真珠にからめられた唐草の模写」を出されたときのエピソードが綴られる。

1997年 その周辺の人たち展文集

丸井金蔵先生について
千代崎晴美(神工 工芸図案科 3期生)

丸井金蔵先生について

 僕には丸井先生に叱られた記憶がない。だから、先生の記憶は薄い。少ない記憶で思い...

1997年 その周辺の人たち展文集

仰げば尊し
加藤茂元(神工 工芸図案科 2期生)

仰げば尊し

丸井金猊とその周辺の人たち展文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第2期生 加藤茂元さんのメッセージ。「謹厳な容姿の丸井金猊先生の授業は、楷書体を見るような気品があり、明晰な日常の訓話は諭すよう懇切で」といった言葉が綴られる。

1997年 その周辺の人たち展文集

神工時代の丸井金猊先生
小川久夫(神工 工芸図案科 1期生)

神工時代の丸井金猊先生

丸井金猊とその周辺の人たち展文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第1期生 小川久夫さんのメッセージ。「開口一番、「四角い顔ですが、マルイです‥‥」と先生の挨拶が始まったのだが‥‥。」とエピソードが語られる。

1997年 その周辺の人たち展文集

丸井君とすごした忘れ得ぬ一日
吉原正道(東京美術学校 同期生)

丸井君とすごした忘れ得ぬ一日

東京美術学校日本画科同期生(八年会)で、最後の生き証人となった吉原正道さんのメッセージ。
金猊の神工教師時代に銀座・資生堂見学の手配を頼まれ、一日付き合ったときのエピソードが語られる。

1961(昭和36)年 発行

神工デザイン科ルネッサンス
神工 創立50周年記念誌 回想文

神工デザイン科ルネッサンス

神工50周年記念誌に金猊が寄稿した回想文。
後日、産業デザイン科として合併する木材工芸科にもふれ、「戦争中廃科の憂目をみていた工芸図案科が、終戦後の学制改革で三年制の工業高校として発足するに際し、木材工芸科とともに復活することになり、バラック建ながら機・建・電・電通の諸科と並んで新生の意気に燃え立ったのは、13年前の昭和23年春のことであった。」で始まる。