丸井金猊

KINGEI MARUI

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1997年 その周辺の人たち展文集

丸井先生。
細谷巖(神工 工芸図案科 4期生)

丸井先生。
まもなく62才になろうとしているのに、確固たる自信も得られず、相変らずアバウトな生きかたをしている自分がおかしく思えます。こんなことを思うのも、実力に不安を感じているからなんでしょうか。

───46年前(16才の頃)。絵を描くのが少し好きだったというくらいのことで、県立神奈川工業高校工芸図案科に入学し、図案(デザイン)の基本的な技術や考えかたを、丸井先生、佐藤先生、中里先生に、少しずつ教えていただきました。思えば、今の自分の年齢よりも、ずっと若い先生たちだったのですね。ヒトにものを教えることのむずかしさを知っている今の自分を思うと、さぞかし大変なことだったのではないかと思います。
学びかたや生きかたが、はっきりと解らない、性格が異なる不安だらけの少年たちを、いろいろと指導するわけですから。

───丸井先生が担当された時間の課題で正倉院御物の宝石箱の真珠にからめられた唐草の模写を、こつこつと数日かかって仕上げたときに、先生のきょろっとした眼鏡ごしの笑顔で「細谷くん、よくできたね」と言われたことを思い出すと、自信というものは、認められると得られることなんだと思い、突然ではなく、小さなことがらの積み重ねから得られるんだということも知りました。

正倉院宝物『平螺鈿背八角鏡』
正倉院宝物『平螺鈿背八角鏡』

───教員室で3人の先生が、大きな声で口論をよくしていましたね。たぶん教えることの考えかたが、少しずつ違っていたんだからと思います。とても人間的な感じがして垣間見ていた私たちは、なぜか笑っていました。

───丸井先生たちに学んだ、あの神工の3年間は、かけがえのないすばらしい時間だったのですね。ありがとうございました。
そして、今回初めて見せていただいた先生の作品に驚きました。遺作展が開かれたこと、おめでとうございます。丸井隆人さん、ごくろうさまでした。

丸井金猊とその周辺の人たち展(1997年)文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第4期生 細谷巖さんのメッセージ。