丸井金猊

KINGEI MARUI

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法隆寺金堂壁画 第6号壁 阿弥陀浄土図 安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)

第六号壁(阿弥陀浄土図)再現壁画 全図
縦309.0cm × 横(上幅) 262.6cm (中幅) 256.0cm (下幅) 255.0cm
阿弥陀如来を中心に、左右に観音・勢至の両菩薩、背後に懸崖や天蓋、
飛翔宝珠・供養菩薩、下方に蓮池に蓮華化生や供養菩薩を配している。

法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」

第6号壁 阿弥陀浄土図
安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)

「第6号壁 阿弥陀浄土図」を担当した安田班の安田靫彦、吉田善彦、羽石光志のうち、本記事では安田靫彦氏のメッセージと作品を紹介いたします。また同6号壁の部分画像を、吉田善彦氏のメッセージと作品と共に別ページにて紹介いたします。

法隆寺金堂壁画再現の仕事が予定通り一カ年ぶりで完成した。これはひとえに関係各位の熱烈なご援助によるものである。また特に申したいのは執筆者の諸君のなみなみならぬ精進努力によって、予期以上の成果をもって完了したことである。

かえりみれば、私が法隆寺を訪れたのは、明治末年、岡倉天心先生の計らいで奈良留学を命ぜられた時であった。そのころは境内に人影はなく、中門の番人が渡してくれた鍵で重い扉を開けて金堂に入った。うす暗い堂内に立並ぶ、異様の仏たちへのおどろきは述べるいとまがない。

安田靫彦 法隆寺金堂壁画再現模写(6号壁)1967年13歳の少年のころ、東京の帝国博物館で桜井香雲の模写に接して以来のまぼろしの壁画は、堂内の暗さに馴れてきた私の眼に、荘厳な構図が生き生きと浮かんできた。神韻縹渺(ひょうびょう)とはまさにこれである。一番立派で一番確かで、そして一番清新な仏画、日本仏画にないもの、中国でもインドでもない、西域、そして遠い西欧の匂いもあるが、この高い気品は日本のものかなどと考えた。

私はいく日か金堂内に通って、六号壁の勢至菩薩を縮写していた。その間一日中いても、 一度、前田青邨君が訪れたきりであった。

それから、ほぼ60年たった。このたび、戦後間もなく焼けた金堂の壁画を模写再現する話が計画準備されるに当って、われわれは次のような方針によって焼損直前の状態を忠実に再現することになった。

  1. 焼失前の壁画にないものを描き加えない。
  2. ただし赤外線写真を参考にするのは差し支えない。
  3. 壁画の汚れ、亀裂、剥落などは状況によっては色を薄くするなどの方法によって、壁画の美しさを出すことにする。
  4. 壁の部分はその感じを出すように努める。
  5. 模写を進めるに当っては、各班互いに意見を交換して全体の統一をはかる。

私は、この壁画で最も大切なものは線描である、色彩は変色するが、線は剥落以外は残る、線を最重視したい、と申して賛成を得た。

法隆寺金堂壁画 第6号壁 阿弥陀浄土図 コロタイプ印刷吉岡君から壁画に用いてあるベンガラは、いまのはだめで朱でなければあの色は出ないといわれた。

昨42年2月1日から各班一斉に模写に着手し、 一カ年後に完成を目標とした。

6月26日、東京国立博物館内に、以前の模写を見に集まるために、一年十カ月ぶりで上京した。会場内には前回制作の6号大壁、10号大壁も出陳されていた。10号大壁の薬師のごとき、どういうわけか、他の如来とちがってお顔がまっ黒い。しかるに右足は肉色である。これは、後世なんらかの事情で変色したのであるから、お顔も肉色に復元しようかという前田君の説に同感した。

11月13日になって、鎌倉近代美術館と前田青邨邸に全4班の制作を集めて、研究する会が行われた。文化財保護委員会からも稲田委員長、松下隆章、石田茂作、田中一松、矢代幸雄諸氏が出席され、思いきった鋭い意見が交換されたのである。どの班のものも予想以上に進行しており、前回の模写よりも遥かに優れたものになりそうに思え、疲れを忘れて家に帰ったのである。その後、各班それぞれ全力をあげて総仕上げに向かったのであった。

思えば19年前、金堂壁画焼損の厄に遇って以来、常に気にかかっていた大願が成就し、あの堂内に立派に収納される日の漸く来たことは、大きな喜びとともに感慨無量のものがある。

ここに重ねて一大難事業を支援して下さった多くの方々に、心からのお礼を申上げたい。

※安田画伯執筆分は『金堂壁画再現記念 法隆寺展』図録(朝日新聞社、昭和43年)より再録した。

法隆寺再現壁画 大型本(朝日新聞社・1995年10月刊行)より
赤色下線が展示予定フレーズ、緑色下線は候補となったフレーズ

第六号壁(阿弥陀浄土図)解説

縦309.0cm × 横(上幅) 262.6cm (中幅) 256.0cm (下幅) 255.0cm

法隆寺金堂壁画 第6号壁 阿弥陀浄土図 ㊧再現壁画 昭和42年(1967年) ㊨旧壁画模写 昭和15年(1940年)頃
Zoom 法隆寺金堂壁画 第6号壁 阿弥陀浄土図
㊧再現壁画 昭和42年(1967年) 安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)
㊨昭和15年(1940年)頃 入江波光 入江酉一郎 吉田友一 川面稜一 林司馬 多田敬一(入江班)

朱衣の阿弥陀と呼ばれ、大英博物館の敦煙画「赤衣釈迦説法図」と並び称賛される。蓮池から生える蓮華座に豪華な後屏を背にした阿弥陀如来を中心に、左右に観音・勢至の両菩薩、背後に懸崖や天蓋、飛翔宝珠・供養菩薩、下方の蓮池に蓮華化生や供養菩薩を配している。阿弥陀三尊をはじめ、26身すべてが一茎蓮枝に乗るいわゆる蓮池涌現式の阿弥陀浄土図で、敦煙の初唐窟に類似の図が認められる。

Wikipedia: 6号壁・阿弥陀浄土図

西の大壁。蓮華座上に坐し後屏を背にする阿弥陀如来坐像と両脇侍立像(観音菩薩、勢至菩薩)の三尊像を中心に、下部に17体、上部に8体、計25体の菩薩像を表す。この図様は浄土三部経の1つ『無量寿経』所説の浄土を表すものと解釈されている。制作が優れ、法隆寺金堂壁画の中でも代表作として知られたものである。焼損前の写真でも画面の下半分は剥落が激しく、図様が明確でない。

丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1f 展示プラン

法隆寺金堂の西側に位置する第6号壁と同様に丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1fでも西壁中央にほぼ実寸サイズのプリント紙を壁面に張り付けました。

丸井金猊「写と想像⇄創造展」展 西側壁面 - 法隆寺金堂壁画 第5・6・7号壁プリント
※著作権の都合で、法隆寺金堂壁画の複写画像はモザイクを掛けています。

画家の言葉・引用フレーズ

堂内の暗さに馴れてきた私の眼に、荘厳な構図が生き生きと浮かんできた。神韻縹渺(ひょうびょう)とはまさにこれである。一番立派で一番確かで、そして一番清新な仏画、日本仏画にないもの、中国でもインドでもない、西域、そして遠い西欧の匂いもあるが、この高い気品は日本のものかなどと考えた。

この壁画で最も大切なものは線描である、色彩は変色するが、線は剥落以外は残る、線を最重視したい、と申して賛成を得た。

序    法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」
第1号壁   釈迦浄土図・・・・・吉岡堅二(吉岡班)
第2号壁   菩薩半跏像・・・・・羽石光志(安田班)
第3号壁   観音菩薩像・・・・・平山郁夫(前田班)
第4号壁   勢至菩薩像・・・・・岩橋英遠(安田班)
第5号壁   菩薩半跏像・・・・・稗田一穂 吉岡堅二 麻田鷹司(吉岡班)
第6号壁   阿弥陀浄土図・・・・安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)同壁部分紹介
第7号壁   聖観音菩薩像・・・・稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)
第8号壁   文殊菩薩像・・・・・野島青茲(橋本班)
第9号壁   弥勒浄土図・・・・・橋本明治(橋本班)
第10号壁 薬師浄土図・・・・・前田青邨 守屋多々志(前田班)同壁部分紹介
第11号壁 普賢菩薩像・・・・・大山忠作(橋本班)
第12号壁 十一面観音菩薩像・・前田青邨 近藤千尋(前田班)