丸井金猊

KINGEI MARUI

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1997年 その周辺の人たち展文集

丸井先生の思い出
柳町恒彦(神工 工芸図案科 8期生)

今からもう42年も昔1955年の春、19歳で県立神奈川工業高等学校へ入学した。
中学を卒業して3年間は町工場、看板屋等で働いていたので感激の入学式だった。今はデザインは当たり前だが、当時はまだ工芸図案科と呼ばれていた。

丸井先生は39歳。セピア色のベレー帽をかぶり鼈甲の眼鏡をかけ、謹厳実直で一見近寄り難いものがあった。最初の授業はケント紙を製図版に水貼りすることから始まった。先ず英文字の研究、日本文字、明朝体とくに資生堂明朝の説明には熱がこもっていたことを思い出す。

折り紙によるモチーフの表現とか水仙の花を便化した連続模様の皿等次々と課題を出された。半紙に面相筆で明朝体の履歴書を書いたこともあった。

学生同士は先生をマル金と呼び、授業中騒いでいると「いつまでも稚気満々ではいけない」と諭された。丸井先生が日本画の大家と知ったのは卒業後何年も経ってからだった。無我夢中でこの歳になり、今ハッとする思いで、恩師を懐かしんでいる。

丸井金猊とその周辺の人たち展(1997年)文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第8期生 柳町恒彦さんのメッセージ。