丸井金猊

KINGEI MARUI

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法隆寺金堂壁画 再現壁画 第11号壁 普賢菩薩像(大山忠作)

第十一号壁(普賢菩薩像)再現壁画 全図

縦312.4cm × 横(上幅)160.6cm (中幅)154.7cm (下幅)156.0cm

普賢菩薩は白象に騎乗しており、象は蓮華を踏み、向かって右(東)から左(西)へゆっくり歩を進めている。

法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」

第11号壁 普賢菩薩像
大山忠作(橋本班)

このたびの模写事業の話を最初にお聞きしたのは、 一昨年の暮れもようやくおしせまるころであった。何しろ大変な仕事だし、以前に多少の経験があるとはいうものの、今度の場合は前の時と立場も大分異ることなので、私一存にての決断もつきかね、山口蓬春先生にお伺いにあがったところ「古典の勉強にはまたとない機会、しっかりやるように」との励ましのお言葉をいただき、ようやく決心もつき、お受けすることと相成った。

翌年3月の仕事開始まで心の準備やら、身辺の整理に意を用いた。もちろんそれ以後の依頼画は、事情を申上げ、了解をいただいて全部お断りした。かくして着手の日を待つ態勢はととのった。

3月1日、まず、本尊の部分の仮張を前にして仕事にとりかかった。心の用意は万全できてはいたつもりだったが、いざ、最初の筆を下ろす段になると異様な緊張感で身体が堅くなるのをどうすることもできなかった。仕事を手伝ってもらうことになった岡田光弘室井東志生(としお)両氏の顔もいつになくこわばっているようだ。

私の担当する11号壁は、本尊が普賢(ふげん)菩薩(悟りの心と修行の功徳を備え、釈迦の教化指導を助成する役といわれている)で、金堂の東北の隅に当る小壁。この場所で往時、護摩が焚かれていたともいわれ、そのせいか壁全体がくろずんでおり、他の壁面のように白く剥落した部分が割合少ないので、まず基調になる黒い部分の塗り起しから始めることにした。緊張のうちに最初の一筆が下ろされた。

法隆寺金堂壁画 第11号壁 普賢菩薩像 コロタイプ印刷(便利堂)第1日目は夢中であった。終っての仕事を見ると、仮張の3カ所にほんの僅か方寸の黒ずんだ不思議な地図のようなものが浮かび上がった。それは大海にただよう破船のようにも見え、これからの難航を暗示するかのようでもあった。筆を下ろしてみて改めて仕事の困難さを痛感し、その夜はまんじりともしなかった。

2日、3日、1週間と時がたつにつれて、徐々に緊張感もほぐれ、お互いの意見の交換もスムーズにできるようになり、仕事の経過の目安も立つようになった。一日一日と、それは、本当に蚕が桑の葉を食むが如き遅々たる歩みではあるが、不思議な地図が日時の経過とともにだんだんと拡がってゆく。最初は小さな島のようであったものが、半島状となり、やがて大陸へと移行してゆく。このころになるとすっかり調子にもなれ、仕事の中にもある楽しさが湧き、こわばっていた皆の顔も自然にほぐれてきた。私はいよいよ本尊の彩色に入った。お顔の部分になるとさすがにまた違った緊張感が去来する。一筆一筆を何かに祈る思いで筆を進めてゆく。それでも3カ月近くになるころには、どうにか一応の調子は整った。

その間再度にわたって主任橋本明治先生の来駕をいただき、ご指示を受けた。この11号壁は、以前の模写の時、先生が直々に描かれた壁画なので、その指示はまことに的確で、安心して仕事のできたのはまことにありがたいことであった。途中苦心したところといえば、各壁共通のことではあろうが、古色をどのようにして出すかということであった。前にも申上げた通り11号壁は全体が黒ずんだ調子なのでなおさらであった。他の壁面との調和という点も考慮に入れ調子をどの程度にとどめるかということには特に意を用いた。このことは終始一貫して苦心の中核となった。その他、部分的には頭髪、衣に見られる青黒い部分、下塗にはどんな色を置くかということ。総じて明るめの色を塗り、その上から順次古色をつける方法をとったが、また逆に、天蓋や象の部分など、 一度黒くした上に白で調子を整える方法をとったりもした。

このようにして各部分が次々に進められていった。暑かった夏も仕事は休みなく続けられ、そろそろ秋風も立ち始めるころになって、全体のひととおりの配色は終り、いよいよ仕上げの段階に入った。年明けての最後の総仕上げには一段と気が入り、2月末にようやく完成を見たわけである。過去1年を振返ってみれば万感こもごもであるが、まず感じられることは、千載一遇のこの大きな仕事に従事できたという画家としての充足感と、最初のひと塗りから最後の一点まで終始協力してくれた、岡田光弘、室井東志生両氏への感謝とである。

法隆寺再現壁画 大型本(朝日新聞社・1995年10月刊行)より

赤色下線がピックアップフレーズ、緑色下線は候補フレーズ

第十一号壁(普賢菩薩像)解説

縦312.4cm × 横(上幅) 160.6cm (中幅) 154.7cm (下幅) 156.0cm

法隆寺金堂壁画 第11号壁 普賢菩薩像 ㊧再現壁画 昭和42年(1967年) ㊨旧壁画模写 昭和15年(1940年)頃
Zoom 法隆寺金堂壁画 第11号壁 普賢菩薩像
㊧再現壁画 昭和42〜43年(1967-68年) 大山忠作(橋本班)
㊨昭和15〜26年(1940-51年)頃 橋本明治 名古谷謙一(橋本班)

普賢菩薩は『法華経・勧発品』に法華経行者を守護するため東方浄妙国土より六牙の白象に騎乗し来儀すると説く尊で、本図は経説の通り、象は蓮華を踏み、向かって右(東)から左(西)へゆっくり歩を進める。
火焔宝珠を付けた天蓋は風をふくんで後方になびき、その形は8号文殊菩薩のそれに類似し、また構図も8号と向き合うように描かれ、釈迦如来の両脇侍としての配置の工夫がある。なお、両掌を赤く塗るのはアジャンターの仏菩薩や飛天図に類例があり、関心がもたれる。

Wikipedia: 11号壁・普賢菩薩坐像

北面の東端。象の上の蓮華座に向かって左を向いて坐す。図像的特色(象の上に乗る)から、普賢菩薩像であるとわかる。8号壁の文殊菩薩像と対をなす。

法隆寺金堂壁画 第11号壁 普賢菩薩像 第8号壁 文殊菩薩像

金堂壁画再現記念 法隆寺幻想展(1968年)より

大山忠作《菊香飛天》
Zoom 大山忠作《菊香飛天》1968年 91.0×65.0cm

丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1f 展示プラン

法隆寺金堂の北壁東側に位置する第11号壁は、丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1f北壁中央下位置中央に110×56cmの約36%サイズに縮小したプリント紙を壁面に張り付けました。本来であれば対をなす8号壁と9号・10号壁を挟んだ位置となりますが、ここでは隣合う形となりました。

丸井金猊「写と想像⇄創造展」展 西側壁面 - 法隆寺金堂壁画 第8〜12号壁プリント
※著作権の都合で、法隆寺金堂壁画の複写画像はモザイクを掛けています。

画家の報告 clip ピックアップ×2

私の担当する11号壁は、
本尊が普賢菩薩で、金堂の東北の隅に当る小壁。
この場所で往時、護摩が焚かれていたともいわれ、
そのせいか壁全体がくろずんでおり、
他の壁面のように白く剥落した部分が割合少ないので、
まず基調になる黒い部分の塗り起しから始めることにした。

私はいよいよ本尊の彩色に入った。
お顔の部分になるとさすがにまた違った緊張感が去来する。
一筆一筆を何かに祈る思いで筆を進めてゆく。

序    法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」
第1号壁   釈迦浄土図・・・・・吉岡堅二(吉岡班)
第2号壁   菩薩半跏像・・・・・羽石光志(安田班)
第3号壁   観音菩薩像・・・・・平山郁夫(前田班)
第4号壁   勢至菩薩像・・・・・岩橋英遠(安田班)
第5号壁   菩薩半跏像・・・・・稗田一穂 吉岡堅二 麻田鷹司(吉岡班)
第6号壁   阿弥陀浄土図・・・・安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)同壁部分紹介
第7号壁   聖観音菩薩像・・・・稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)
第8号壁   文殊菩薩像・・・・・野島青茲(橋本班)
第9号壁   弥勒浄土図・・・・・橋本明治(橋本班)
第10号壁 薬師浄土図・・・・・前田青邨 守屋多々志(前田班)同壁部分紹介
第11号壁 普賢菩薩像・・・・・大山忠作(橋本班)
第12号壁 十一面観音菩薩像・・前田青邨 近藤千尋(前田班)