丸井金猊

KINGEI MARUI

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法隆寺金堂壁画 再現壁画 第10号壁 薬師浄土図 菩薩と十二神将(前田青邨 守屋多々志)

第十号壁(弥勒浄土図)再現壁画 部分 菩薩と十二神将

神将はいずれも歯をむき、太い眉毛、にらみ据える眼など形相ものすごく、

逆髪の神将は牙を巻き上げ、肉身には暗褐色の色隈を施していっそうの畏怖感を盛り上げる。

法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」

第10号壁 薬師浄土図(部分)
守屋多々志 前田青邨(前田班)

第10号壁 薬師浄土図」を担当した前田班の前田青邨、守屋多々志のうち、本稿では
守屋多々志氏のメッセージと作品を紹介いたします。
同10号壁全体図と前田青邨氏のメッセージ+作品はこちらにて。

今回の仕事は、従来の古画落剥模写ではなく、自鳳期に描かれた日本最古の壁画の高い芸術性を再現するという趣旨に基づき、その点について、着手前に確固たる制作方針を決定せねばならなかった。

まず壁面をおおう不快な黒い汚れを払いのけ明るい画面にすること。

おびただしい落剥や、擦疵(すりきず)、または燈明(とうみょう)台から流れ落ちて画面を走った油滴(ゆてき)の汚れ、これらは千余年を経た貴い記録とはいえ、画面の上に美しく生きているものは描き込み、醜くなったところ──たとえば、深く落ちて下層の(わら)などの露出した部分──は抹殺あるいは存在を不鮮明にする。

着色も焼失直前には落ちた状態であっても、当然施されていたと確認され、着色すれば、より以上に画面に精彩を加えると思われる個所は補色すること。

このように方針を決めて制作を進めた。

特にこの壁画の、ご本尊の頭部胸部、また右側上方の甲冑をつけた天部の顔面は、後世の補色または描き直しであることは明瞭で、これを当初の姿に近づけるため、あらゆる資料を検討し、焼損壁画を研究した。結果として、本尊は焼損壁画に残っている火焔(かえん)によって後補の彩色が飛び、下から現われた当初のものに間違いない面相によって描き、また天部は同格に描かれたと思われる上部左端の怒髪(どはつ)の天部にならい、共に後補の面影(焼失直前)を尊重しつつ描き上げた。

すすけた焼失直前の壁画より、より以上に明るく、また今日の可能の限界においては、当初の姿に再現できえたと思う。

法隆寺再現壁画 大型本(朝日新聞社・1995年10月刊行)より

赤色下線がピックアップフレーズ、緑色下線は候補フレーズ

第十号壁(薬師浄土図)部分図 菩薩と十二神将 解説

縦310.0cm × 横(上幅)254.4cm (中幅)252.4cm (下幅)248.5cm

第十号壁(薬師浄土図)部分図 菩薩と十二神将

神将はいずれも歯をむき、太い眉毛、にらみ据える眼など形相ものすごく、逆髪の神将は牙を巻き上げ、肉身には暗褐色の色隈を施していっそうの畏怖感を盛り上げる。初唐の西域系画家尉遅乙僧が長安光宅寺の寺門に描いた降魔変像は中華の威儀に非ずと評されたように、こうした複雑な色合いと激しい動きを伴った立体描写であっただろう。

画家の言葉・引用フレーズ

おびただしい落剥や、擦疵(すりきず)、または燈明(とうみょう)台から流れ落ちて画面を走った油滴(ゆてき)の汚れ、これらは千余年を経た貴い記録とはいえ、画面の上に美しく生きているものは描き込み、醜くなったところ──たとえば、深く落ちて下層の(わら)などの露出した部分──は抹殺あるいは存在を不鮮明にする。

ご本尊の頭部胸部、また右側上方の甲冑をつけた天部の顔面は、後世の補色または描き直しであることは明瞭で、これを当初の姿に近づけるため、あらゆる資料を検討し、焼損壁画を研究した。(中略)
すすけた焼失直前の壁画より、より以上に明るく、また今日の可能の限界においては、当初の姿に再現できえたと思う。

守屋多々志《夢殿》
守屋多々志《若き聖徳太子》

序    法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」
第1号壁   釈迦浄土図・・・・・吉岡堅二(吉岡班)
第2号壁   菩薩半跏像・・・・・羽石光志(安田班)
第3号壁   観音菩薩像・・・・・平山郁夫(前田班)
第4号壁   勢至菩薩像・・・・・岩橋英遠(安田班)
第5号壁   菩薩半跏像・・・・・稗田一穂 吉岡堅二 麻田鷹司(吉岡班)
第6号壁   阿弥陀浄土図・・・・安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)同壁部分紹介
第7号壁   聖観音菩薩像・・・・稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)
第8号壁   文殊菩薩像・・・・・野島青茲(橋本班)
第9号壁   弥勒浄土図・・・・・橋本明治(橋本班)
第10号壁 薬師浄土図・・・・・前田青邨 守屋多々志(前田班)同壁部分紹介
第11号壁 普賢菩薩像・・・・・大山忠作(橋本班)
第12号壁 十一面観音菩薩像・・前田青邨 近藤千尋(前田班)