丸井金猊

KINGEI MARUI

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第6号壁 阿弥陀浄土図 部分図 阿弥陀如来の顔と印相 安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)

第六号壁(阿弥陀浄土図)部分図 阿弥陀如来の顔と印相
赤衣の大衣を通肩にまとい、転法輪印(右手は掌を開き、左手は裏返しとする)を結び、蓮華座に結跏趺坐(けっかふざ)をする。
転法輪印は中国画壇では旧来の施無畏与願(せむいよがん)式に代わって初唐より新様の阿弥陀の印相として採用された。
背後の後屏には唐風蓮華文に交じって、ササンペルシャ起源の蓮珠文が飾られる。

法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」

第6号壁 阿弥陀浄土図(部分)
吉田善彦 安田靫彦 羽石光志(安田班)

第6号壁 阿弥陀浄土図」を担当した安田班の安田靫彦、吉田善彦、羽石光志のうち、本稿では吉田善彦氏のメッセージと作品を紹介いたします。同6号壁全体図と安田靫彦氏のメッセージ+作品はそのページにて紹介いたします。

法隆寺の金堂炎上以来、20年間いつも心の底にあったことだが、朝日新聞社のこのご企画を安田先生から初めて伺った時、あの苦しい想い出から一瞬おそろしい気がした。同時に今こそやりとげなければならないという決意もはっきりした。

私どもの班は安田先生の下に岩橋、羽石、吉田と選ばれ、壁面は6号の大壁、2号4号の小壁と決った。6号がやれるということは大変な感激である。それはまた一番の重責でもある。私は前の模写の経験者であることから、 一切の連絡やら段取りなど朝日新聞社の坂崎氏とご相談して進めた。安田先生にはできるだけ煩わしいご心配をかけないよう、先生のご子息建一氏を介して、仕事の場所、方法、助手のことなどをひとつひとつきめて行ったが、実際に取りかかるまで見当もつかないめんどうなことばかりであった。

第6号壁 阿弥陀浄土図 旧壁画模写前回の模写は全部東京国立博物館に移され、安田班でやる中の6号、2号はほぼ完成されている。これを参考にしつつ仕事を進めるのが不統一の心配もなく、迷わずしかもより良い道を最短距離で確実に完全にゆけると思い、東博をお借りして通ってやることにした。

ちょうど法隆寺献納御物の宝物館内に修理室があり、国宝の充満している中での仕事は幸せであったが、前の模写8壁全部が保管されてあることでもあり、火気にはことに気をつかった。私ども3名に前回2号を担当した先輩の藤井さんと真野さん、九州の古墳と取組んだ若い田中さんと有力な面々も加わり、いよいよ2月1日を期しいっせいにスタートした。

方法はだいたい前と同じで、特にこのため漉かれた越前の和紙に便利堂の原寸コロタイプを刷り、それを寺内遊神堂でくいさきという方法で継ぎ合わせ、絵具も前と同じ京都放光堂の極上のものをそろえた。まずドーサ(礬水)を引き地塗りにかかったが壁画は比類ないスケールの大きいすぐれた絵という以上に、柔らかく重厚で複雑な剥落の美しさなど、それは千古の壁そのものの魅力であるから、それがことごとく表現されなければならない。それで胡粉(ごふん)と細かい方解末をごく薄く溶き、画面を立てて流すように3、4回塗り、コロタイプをつぶすことなく地肌を作った。これは最後までざっくりしたパステル調を出すのに効果があったと思う。

それから一点一画もゆるがせにせず線と色面の黒を残して克明に白の部分を起し、次に灰色の部分を起すと全体が白と灰のブロックで埋まる。それを胡粉、方解末にわずかの朱、黄土をまぜた暖か味のある白でこれも薄めに溶き、豚毛の太い丸筆に乾き気味につけつつ叩きながら全体をコロタイプがほのかに見える程度までつぶすと、ここで初めて印刷から抜け出て下地ができ上るわけである。このようにしてほとんど白くしてしまった上から同じコロタイプを置き、逆の上げ写し法で本描きに入った。

色は努めて原色を置き、あとで古色にし、壁の古色の味わいやキズや穴など寸分たがわず写し取って行く。原本からの原寸コロタイプのあることは何よりも頼りで、前の模写以上克明に正確に焼失前のイメージを呼び起し、理想に近づけえたと思う。その点、絶対に前の孫模写ではない。ただ、かつては十年もかかったことを一年でやることは、小壁はともかく大壁は不可能に近いと思われた。が、どうにかやりおえることができた。

途中から岩橋さんは4号壁をご自宅で描かれることになり、2号は真野さんのからだの不調から藤井さん一人ではどうにもならず、安田先生との連絡を兼ねて大磯から宮本さんに参加を願った。夏休み中は芸大生の谷中、自井、井上、戸渡の四君に手伝ってもらうことになり、そして一気に6号、2号の全壁面の下地ができたうえ、ある部分は仕上げにまで進めることができた。これは素直に感激して打込んでくれたこと、眼や体力の若さ、それと明るく楽しい和があったからだと思う。その後も芸大を出た若い福井君に手伝ってもらったが、このような大事業は、己を空しくして全体にわたる大きい熱意が大切で、今後とも考えるべきことと思われる。

秋になって安田先生に三尊の仕上げをしていただきがぜん生気と迫力を得た。これで短期間の不満にもかかわらず再現の意味は十分に達せられたと思う。

法隆寺再現壁画 大型本(朝日新聞社・1995年10月刊行)より
赤色下線が展示予定フレーズ、緑色下線は候補となったフレーズ

第六号壁(阿弥陀浄土図)解説

縦309.0cm × 横(上幅) 262.6cm (中幅) 256.0cm (下幅) 255.0cm

第6号壁 阿弥陀浄土図 再現壁画 部分図 昭和42年(1967年) ㊧勢至菩薩の上半身 ㊨観音菩薩の顔
Zoom 法隆寺金堂壁画 第6号壁 阿弥陀浄土図 再現壁画 部分図 昭和42年(1967年)
㊧勢至菩薩の上半身 ㊨観音菩薩の顔

勢至(せいし)菩薩の上半身は㊨観音菩薩と対称して描かれ、宝冠に水瓶の標識がないが、勢至菩薩であることは間違いない。右肩より聖索(神線)を斜めに懸け、三曲(トリバンガ)に折った身体をのびやかなしかも強靭な鉄線描でくくる。

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Zoom 第6号壁 阿弥陀浄土図 阿弥陀如来の顔と印相
㊧旧壁画模写 昭和15年(1940年)〜 ㊨再現壁画 昭和42年(1967年)

赤衣の大衣を通肩にまとい、転法輪印(右手は掌を開き、左手は裏返しとする)を結び、蓮華座に結跏趺坐(けっかふざ)をする。転法輪印は中国画壇では旧来の施無畏与願(せむいよがん)式に代わって初唐より新様の阿弥陀の印相として採用された。背後の後屏には唐風蓮華文に交じって、ササンペルシャ起源の蓮珠文が飾られる。

転法輪印 施無畏与願印 蓮華文 蓮珠文

丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1f 展示プラン

法隆寺金堂の西側に位置する第6号壁と同様に丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1fでも西壁中央にほぼ実寸サイズのプリント紙を壁面に張り付けました。

丸井金猊「写と想像⇄創造展」展 西側壁面 - 法隆寺金堂壁画 第5・6・7号壁プリント
※著作権の都合で、法隆寺金堂壁画の複写画像はモザイクを掛けています。

画家の言葉・引用フレーズ

壁画は比類ないスケールの大きいすぐれた絵という以上に、柔らかく重厚で複雑な剥落の美しさなど、それは千古の壁そのものの魅力であるから、それがことごとく表現されなければならない。それで胡粉と細かい方解末をごく薄く溶き、画面を立てて流すように3、4回塗り、コロタイプをつぶすことなく地肌を作った。これは最後までざっくりしたパステル調を出すのに効果があったと思う。

胡粉、方解末にわずかの朱、黄土をまぜた暖か味のある白でこれも薄めに溶き、豚毛の太い丸筆に乾き気味につけつつ叩きながら全体をコロタイプがほのかに見える程度までつぶすと、ここで初めて印刷から抜け出て下地ができ上るわけである。このようにしてほとんど白くしてしまった上から同じコロタイプを置き、逆の上げ写し法で本描きに入った。

色は努めて原色を置き、あとで古色にし、壁の古色の味わいやキズや穴など寸分たがわず写し取って行く。原本からの原寸コロタイプのあることは何よりも頼りで、前の模写以上克明に正確に焼失前のイメージを呼び起し、理想に近づけえたと思う。その点、絶対に前の孫模写ではない。

序    法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」
第1号壁   釈迦浄土図・・・・・吉岡堅二(吉岡班)
第2号壁   菩薩半跏像・・・・・羽石光志(安田班)
第3号壁   観音菩薩像・・・・・平山郁夫(前田班)
第4号壁   勢至菩薩像・・・・・岩橋英遠(安田班)
第5号壁   菩薩半跏像・・・・・稗田一穂 吉岡堅二 麻田鷹司(吉岡班)
第6号壁   阿弥陀浄土図・・・・安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)同壁部分紹介
第7号壁   聖観音菩薩像・・・・稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)
第8号壁   文殊菩薩像・・・・・野島青茲(橋本班)
第9号壁   弥勒浄土図・・・・・橋本明治(橋本班)
第10号壁 薬師浄土図・・・・・前田青邨 守屋多々志(前田班)
第11号壁 普賢菩薩像・・・・・大山忠作(橋本班)
第12号壁 十一面観音菩薩像・・前田青邨 近藤千尋(前田班)