丸井金猊

KINGEI MARUI

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法隆寺金堂壁画 第7号壁 聖観音菩薩像(稗田一穂 麻田鷹司)

第七号壁(聖観音菩薩像)再現壁画 全図
縦307.5cm × 横(上幅)153.5cm (中幅)150.3cm (下幅)151.0cm
構図は第4号壁勢至菩薩とほとんど同じだが、宝冠に化仏を表し、頭光のほか舟形の身光を負い、岩上の蓮華座に立つ点で違っている。

法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」

第7号壁 聖観音菩薩像
稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)

先刻、やっと7号壁が完成して、引渡したばかりである。思えば壁画に明け壁画に暮れたこの一年間であった。そもそも一昨年秋、法隆寺金堂壁画再現模写に参加することにきまった時以来の、あのいいようのない重圧感から、今やっと解放された。急に春めいた陽の光の下で自分に帰ったような気持と虚脱感にうちのめされているところである。

麻田鷹司 法隆寺金堂壁画再現模写 後方は稗田一穂ちょうど一年前の今ごろは、下地の胡粉置きを始めたばかり。 一筆ともいえない胡粉の一点一点の集積が壁の地肌を作って行ったのだ。学校時代に教課の模写はやらされても、壁画の模写というものには全く未経験な私には、どういうように進めて行ってよいか、皆目見当がつかなかった。

ただ、以前の模写にたずさわられた吉岡先生の豊かな経験と確かな記憶に導かれて、おぼつかない遅々とした足どりで、こつこつと進めて行くほかはなかった。 一日の仕事のはかどりは本人さえ見きわめられないほどで、他人の目にはなにほどのことをしていることやらわからないことだろうが、その労作の積み重ねが壁を作って行くのだと思えば、胡粉の面積が少しずつでも拡がって行くことだけが、よろこびの日日であった。紙に描いて壁にしなければならない。

壁の質感を把握しない限り紙の上の画は壁画にはなりえないのである。四度も焼損壁画を見に法隆寺へ行ったが、焼けて損傷はなはだしいとはいえ、オリジナルはオリジナルであった。あの厳しさ、大きさ、強さに模写でいかに立ち向おうと、しょせんはイミテーションでしかありえない。初めからわかりきったことである。この仕事に参加する時から私の上に重苦しくのしかかっていたものは、そのことであった。その重圧感はオリジナルを前にした時、頂点に達して無力感に襲われるのであった。

しかし、使命には従わねばならない。良くないコピーなら、今の自壁のままの方がよほど見苦しくないとも思ったが、あの円柱も模造なら壁も模造と気付いた時、今までの重苦しさが、いくらか軽くなったようであった。模造の壁の上の画はもちろん模造でも、かつての金堂をしのぶことのできるものであるなら、それは後世のためにも意義あることと思いなおしたりした。

法隆寺金堂壁画 第7号壁 聖観音菩薩像 コロタイプ印刷終戦近いころだったと思う。以前の模写事業の最中、金堂へ入ったことがあった。今まで見たこともない光の中に壁画を見た時の感銘は今も忘れえない。 一種透明な輝きをもって厳かにそれは存在していた。けい光灯というものを、そこで見たのが初めてであったとおぼえている。

わるい壁画にしてはならない。金堂を醜くするようなことはしたくない。かつての信仰心は失ってしまった現代人でも、画を描く人間には画をかいた人間の魂は通ずるはずと思うことが、この仕事の唯一の拠り所であった。

しかし技術はそんなことに妥協してはくれない。画を描くのか壁を描くのかと自問した画家もあった。壁の質感の表現に仕事の大部分の時間とエネルギーを消費してしまう作業なのだから。しかし画は壁とともにある。壁あっての壁画だ。物質感の表現に、ともすれば、不得手であるといわれる日本画家に課せられた試練であるとも考えた。対象を的確に把握するには非情な眼が必要である。そして確実な腕が要求される。が肝心の対象の壁画は、かつての姿では存在しない。幻の壁画を対象としている頼りなさは初めから終りまでつきまとってはなれなかった。参考の原寸写真版、原色版を読むこと。色の質を見出すこと。発色の微妙な関係を知ることなど、吉岡先生の知識と記憶に支えられて当初全く自信もないまま着手した私にも、この壁画が少しずつとらえられるようになって来た。

そして一年、壁画はきょう私たちの手をはなれた。これから各地の展覧会を回り秋には金堂におさまると聞く。

かつての日、私の見た壁画の印象に近いものが再現されているか、金堂の中での再会が今から不安でならないのである。

法隆寺再現壁画 大型本(朝日新聞社・1995年10月刊行)より
赤色下線が展示予定フレーズ、緑色下線は候補となったフレーズ

第七号壁(聖観音菩薩像)解説

縦307.5cm × 横(上幅)153.5cm (中幅)150.3cm (下幅)151.0cm

構図は4号壁勢至菩薩とほとんど同じ。しかしこの像は宝冠に化仏を表し、頭光のほか舟形の身光を負い、岩上の蓮華座に立つ点で違っている。対面壁の12号壁十一面観音が舟形光背を負い、岩上に立つところから両者はともども南海普陀落山にいる観音像を描いたもの。

尚、第7号壁に関しては昭和15年(1940年)に始まった旧壁画模写での壁画が「法隆寺再現壁画 大型本」にも特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」図録にも掲載されておらず、確認できるのは桜井香雲や鈴木空如の模写においてだけとなっています。

Wikipedia: 7号壁・観音菩薩立像

西面の北端。体勢は正面向きに近く、わずかに向かって左を向いて立つ。宝冠に阿弥陀の化仏(けぶつ、小型の仏像)があることから、観音菩薩であることがわかる。焼損前から剥落甚大であった。

丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1f 展示プラン

法隆寺金堂の西側に位置する第7号壁と同様に丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1fでも西壁北側に223.4×111.8cmの約70%サイズに縮小したプリント紙を壁面に張り付けました。

丸井金猊「写と想像⇄創造展」展 西側壁面 - 法隆寺金堂壁画 第5・6・7号壁プリント
※著作権の都合で、法隆寺金堂壁画の複写画像はモザイクを掛けています。

画家の言葉・引用フレーズ

壁の質感を把握しない限り紙の上の画は壁画にはなりえないのである。四度も焼損壁画を見に法隆寺へ行ったが、焼けて損傷はなはだしいとはいえ、オリジナルはオリジナルであった。あの厳しさ、大きさ、強さに模写でいかに立ち向おうと、しょせんはイミテーションでしかありえない。初めからわかりきったことである。この仕事に参加する時から私の上に重苦しくのしかかっていたものは、そのことであった。その重圧感はオリジナルを前にした時、頂点に達して無力感に襲われるのであった。

画を描くのか壁を描くのかと自問した画家もあった。壁の質感の表現に仕事の大部分の時間とエネルギーを消費してしまう作業なのだから。しかし画は壁とともにある。壁あっての壁画だ。物質感の表現に、ともすれば、不得手であるといわれる日本画家に課せられた試練であるとも考えた。対象を的確に把握するには非情な眼が必要である。そして確実な腕が要求される。が肝心の対象の壁画は、かつての姿では存在しない。幻の壁画を対象としている頼りなさは初めから終りまでつきまとってはなれなかった。

序    法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」
第1号壁   釈迦浄土図・・・・・吉岡堅二(吉岡班)
第2号壁   菩薩半跏像・・・・・羽石光志(安田班)
第3号壁   観音菩薩像・・・・・平山郁夫(前田班)
第4号壁   勢至菩薩像・・・・・岩橋英遠(安田班)
第5号壁   菩薩半跏像・・・・・稗田一穂 吉岡堅二 麻田鷹司(吉岡班)
第6号壁   阿弥陀浄土図・・・・安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)同壁部分紹介
第7号壁   聖観音菩薩像・・・・稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)
第8号壁   文殊菩薩像・・・・・野島青茲(橋本班)
第9号壁   弥勒浄土図・・・・・橋本明治(橋本班)
第10号壁 薬師浄土図・・・・・前田青邨 守屋多々志(前田班)
第11号壁 普賢菩薩像・・・・・大山忠作(橋本班)
第12号壁 十一面観音菩薩像・・前田青邨 近藤千尋(前田班)