丸井金猊

KINGEI MARUI

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丸井金猊 植物圖展 ごあいさつ
芸工展2016 参加企画 Kingei Resources vol.21

谷中M類栖(やなかえむるいす)」が芸工展に参加し、画家・丸井金猊(まるいきんげい)の遺品紹介を始めて11年目となります。

 昨年、入口の左脇にしわくちゃのまま展示されていた墨画作品『玉蜀黍(とうもろこし)』を覚えておいでの方もいらっしゃいますでしょうか。あれから芸工展仲間の修復工房「伝世舎」さんに裏打ちをお願いし、今年はタペストリーにして展示することにしました。また、一部に絵具層の剥離・剥落等があって状態の劣化を懸念していた軸作品『霜晨(そうしん)』(鶏頭の絵)も合わせて修復を依頼。昨年に引き続きとはなりますが、今年は上記2作品に修復報告の資料を添えて再びのご披露としたいと思います。

 これらの修復作品を展示する前提で芸工展企画を考えたとき、両作品とも植物画であることから植物オンリーの展示空間というのも面白いのでは?と思い、今年は「丸井金猊 植物圖展」というタイトルの企画となりました。ただ、屏風は展示しません。植物はあれど人物も描かれているので。

 金猊が昭和3年(1928年)から在籍した東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科では、一年生の授業課題に植物写生があったようで、裏に日付の記された着彩デッサン画が多数残されています。以前、金猊と同窓だった杉山寧氏のご遺族と連絡を取り合ったとき、ご長男の杉山章氏がうちにも似た作品があるとわざわざ写生画をお持ちくださったことがありました。懐かしい思い出ですが、あのとき同じ植物の絵を並べて写真に撮っておかなかったことを少々後悔しております。けれどもその写真が残っていたならいたで額の違いに気恥ずかしくなっていたかもしれません(笑)

 戦時中に画業から離れた金猊は、40年のブランクを経て亡くなる2年前の67歳頃より再び絵筆を執り始めます。日頃、庭の手入れに精を出していた金猊がまずモチーフとしたのが庭の牡丹の花や長女・美鷹の買ってきた西洋蘭の花でした。若かりし頃に描けた線が描けなくなるもどかしさとは裏腹に色彩は当時なかった合成顔料を遊び心たっぷりに用い、新たな世界観を描き出しています。
植物を通して金猊の時代時代の眼差しを感じていただけたならば幸いです。

谷中M類栖・丸井隆人 (金猊の孫)

芸工展2016 - 丸井金猊 植物圖展

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