丸井金猊

KINGEI MARUI

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1997年 その周辺の人たち展文集

金兄のこと
佐藤八恵(実妹)

金兄のことを私は金様と呼んで育った。自他ともに四角四面で嘘つきや約束を違えるのが大嫌いだった。厳しい人だった。

姉三人が若く嫁ぎ、兄三人、弟二人の中で育った私は男性には免役で暮らしたので、お転婆でぞんざいでいつも叱られてばかりだった。何しろ柿やいちぢくなど取るにも兄達が木へ登ると私も登るので「女の癖に」とか「女らしくせよ」と叱られてばかりいた。両親より金様の目の方が怖かった。

金様の理想の女性像は「女はおとなしく優しく従順」であったので、自転車も結婚まで乗ることを許してくれなかった。叱られてばかりいたけど、金様と同じ文学趣味で、詩や作文はいつも賞められ、手芸と裁縫もほめてくれた。

金様たち夫婦は、東京で恋愛結婚されたが、金様は私と正反対の理想的な伴侶を得て、一生亭主関白で幸せな生涯だったと思っている。

金様は上野の美術学校へ進み、そのまま東京で就職し、結婚し、家も東京へ建てられたので、文通のみとなった。

四角四面でも人情は厚く、上京する身内の世話をよくして下さった。大人になってからは叱られなかったし、昔話もいろいろと聞かされ、見舞いに訪れた時は刻を忘れて語り合い、帰る時には「これが今生の別れになる」と言われたが、やっぱりまもなく亡くなられて残念だった。私にとって金様とは生涯堅物で四角四面候の兄だった。

丸井金猊とその周辺の人たち展(1997年)文集に寄稿された実妹の佐藤八恵さんのメッセージ。