丸井金猊

KINGEI MARUI

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芸工展2023「丸井金猊 meets 張替正次」

企画中止「丸井金猊 meets 張替正次」
KINGEI MARUI meets SHOJI HARIKAE

都合によりこの企画は中止し、別の企画を芸工展2023では開催いたします。
代替企画の準備が整い次第、情報更新いたしますので、しばらくお待ちのほど、よろしくお願いいたします。

谷中M類栖の敷地には嘗て張替正次(1914-2003)という洋画家がアトリエを構え、地元では張替先生と呼ばれ親しまれていました。そこで描かれた張替作品と、現在ラボで収蔵している丸井金猊(1909-1979)作品がこの土地を縁に集ふ‥‥今年の秋の芸工展2023ではそんな二人のコラボ展を計画しています。

しかし、展示できる張替さんの作品や情報が少なく、作品貸出のご協力や情報提供を募りたく思っております。作品を貸してくださる方、また、張替さんご自身やこの土地のかつての姿が写っている写真をお持ちの方いらっしゃいましたら、こちらのフォームまでご一報くださいますとありがたく存じます。

芸工展2023「丸井金猊 meets 張替正次」

日時:2023年10月7日㊏〜9日㊊㊗・10月20日㊎〜22日㊐ 13:00〜17:00(日程は予定)
会場:丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1f(入場無料・予約不要)
   〒110-0001 東京都台東区谷中1-6-3(Google Map
主催:丸井金猊ラボ∞谷中M類栖(代表:m-louis
協力:張替正次氏のご遺族様
   池之端画廊、柏わたくし美術館、ギャラリー・ファムファタール前田輪業
SNS:FacebookInstagramLINETwitter ハッシュタグは #kingeimarui

企画の経緯

三鷹に住んでいた丸井金猊の遺族が都市計画の都合で三鷹を離れざるを得なくなったとき、金猊の作品を定期的に気軽に展示できる転居先として選んだのが毎年秋に芸工展が開催され、まちを散策する人たちを多く見掛ける谷中でした。言問通りを歩いていたら「売出し中」の幟の立った空き地が出て来てすんなりこの場所に決まり、設計段階で近隣に挨拶する際に展示スペースとしての利用を考えている旨伝えたら、元々ここには張替さんという画家が住んでいたという話を聞かされ、その特徴的な名前が頭の片隅に残っていました。

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それから18年後の2021年、Instagramギャラリー・ファムファタールさんが池之端画廊で「大叔父であります張替正次の絵画が久々に展示されます」と投稿されているのを見掛け、初めて張替さんの作品を観に行きました。そこで観た『誕生』というタイトルの、虫や鳥や魚のようにも機械や人のようにも見える三足の奇怪な生命体の描かれた絵は、暗いトーンながらもどこかユーモラスに感じられ、この作品がまさに誕生した場所に戻れたら小躍りするような足の動きを見せるのではないか。さらには金猊の『鷺圖』という鷺の足が複雑に入り組んだ作品と並べたら、タイプの異なる作品同士ながら相互に響き合って、この場所で共鳴し出すのではないか。そのような妄想に駆り立てられました。

張替正次『誕生』1953年 油彩, 額 102×45cm 柏わたくし美術館蔵 丸井金猊『鷺圖』制作年不詳(1930〜35年頃) 絹本彩色, 額 115.2×115.2cm
㊧張替正次『誕生』1953年 油彩, 額 102×45cm 柏わたくし美術館 所蔵
㊨丸井金猊『鷺圖』制作年不詳(1930〜35年頃) 絹本彩色, 額 115.2×115.2cm 谷中M類栖 所蔵

ネットで調べると(第15回 栄光のOB 張替正次|国展/絵画部会員 安富信也)、1914年生まれの張替氏は24歳で鳥海青児に師事とあり、1938年頃から画家の道を歩み出したのかと思いますが、1909年生まれの金猊は1938年作『壁畫に集ふ』を最後に28歳で画業から離れていて、1938年が画家としての二人の節目の年と言えます。また、張替氏が逝去された2003年に谷中M類栖の家づくりは始まっており、画家としての人生と作品が創られ置かれる場所となった土地のバトンタッチに二人の縁を感じずにはいられません。その縁を具現化し、張替氏の作品が生み出された場所に帰還できる機会として芸工展2023「丸井金猊 meets 張替正次」を開催します。

張替正次プロフィール(SHOJI HARIKAE)

1914(大正3)年、東京深川生まれ。本名は張替正次(はりかえまさつぐ)。
20歳の頃、谷中に下宿して額縁業に従事し、24歳(1938年)で洋画家の鳥海青児に師事。26歳から太平洋美術学校で学び、33歳で国展初入選。35歳で第一回読売アンデパンダン展出品(以降毎年出品)。39歳で絵画部会友(準会員)となる。
40歳(1954年)で第一回個展を開催後、精力的に個展を続け、絵画のみならず版画・陶芸などでも力強い造形力を発揮する。66歳(1980年)と87歳(2002年)の時に紺綬褒章受章。2003年88歳で永眠。2018年スペイン・ソリア「現代画オリエンタル」展出品。2023年6月23日〜8月6日 信州高遠美術館「没後20年記念 張替正次展」開催。

丸井金猊プロフィール(KINGEI MARUI)

1909(明治42)年、愛知県一宮市出身。本名は丸井金蔵(まるいきんぞう)。
1928年、東京美術学校日本画科に入学。卒業後は同校研究科所属。21歳(1930年)で国際美術協会主催第一回美術展覧会に出品し入賞首席。第二回展は無鑑査で出品し、近衞文麿氏の買上となる。1935年に愛国生命保険、1937年に東宝劇場の壁画製作。28歳(1938年)で現代美術社主催「第一回現代美術展覧会」に『壁畫に集ふ』出品後、画家としての事蹟が途絶える。1946〜47年東京美術学校講師を経て、38歳(1948年)で県立神奈川工業高校工芸図案科の教諭に赴任し、以降は後進のデザイン教育に尽力する。晩年再び画筆をふるうも1979年69歳で病歿。2008年一宮市博物館で特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」開催。
2015年小学館『日本美術全集』第18巻「戦争と美術」の章に『壁畫に集ふ』掲載。