丸井金猊

KINGEI MARUI

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1997年 その周辺の人たち展文集

丸井金蔵先生について
千代崎晴美(神工 工芸図案科 3期生)

 僕には丸井先生に叱られた記憶がない。だから、先生の記憶は薄い。少ない記憶で思い出した事が三つある。

 一年の最初の実習で「工藝圖案科」と自分の名前を、面相筆と筆定規を使って書かされた。家で仕事をしていた神工図案科卒の親父を見ていたので、実習ではずーっと苦労せず、同級生の手助けをして注意された。

 先生のお宅に伺った事がある。立派なお屋敷と日本画を描く為の鴨居の高い日本間に驚かされた。何故か、誰と行ったかは思い出せない。同級生の橋本かも?

 昭和25年入学当時の僕達の校舎は、昔の米軍の刑務所として建てられた木造の平屋だった。卒業後学校へは一度も行った事がなかったが、60歳前後の数年を台湾で仕事をしたので、現地の駐在許可申請に必要な最終学歴の証明書を、40数年振りに学校へ貰いに行った。その時新校舎の外壁に、丸井先生デザインの神工の文字を見て、先生と、最初の授業と、昔を思い出した。

金猊がロゴ設計した神奈川工業高校の校舎
金猊がロゴをデザインした神奈川工業高校の校舎

丸井金猊とその周辺の人たち展(1997年)文集に寄稿された神奈川県立神奈川工業高校 工芸図案科第3期生 千代崎晴美さんのメッセージ。