丸井金猊 植物圖展レポート
芸工展2016
芸工展2016「丸井金猊 植物圖展」無事終了いたしました。
谷中まで御御足をお運びくださいました皆様、大変ありがとうございました。
「ごあいさつ」でも書きましたように、今年は修復したばかりの『
植物画ではなく植物
以下、展示壁面ごとに展示物の解説をして参りたいと思います。
軸・額 道路側展示壁面
『芥子花圖』の軸と額を壁に掛け、水屋箪笥の上には金猊が東京美術学校入学前に描いたと思しき『豌豆』『菜の花・桜・桃』を展示。『豌豆』については posinega_さんが Instagram 投稿で、「昭和三年・三月廿五日寫」のサインの一部が鏡文字となっていることをご指摘くださいました。
作品目録を作ったときに気づいていたとは思うのですが、20年も前の話になるのですっかり忘れていて、ハッとさせられました。また、同箪笥上には谷中M類栖が芸工展に参加し始めた翌年2007年からのガイドマップを並べ、お客様が手に取って閲覧できるようにしました。
植物写生 正面展示壁面
金猊が東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科一年の授業で描いたと思われる植物写生12点の習作を展示。昭和3年(1928年)5月12日の『アオスゲ』から10月27日『茶椿』まで、壁面左側から日付順に並べ、初夏から秋へと季節を味わえるような展示としました。
そして、今年もこの植物写生12点限定で人気投票を実施。一番良いと思った習作のキャプションに「いいね!」シールを貼ってもらって、後から来たお客様にはどの植物の人気があるか見えるようにしました。結果はのちほどまとめますが、『茶椿』が季節を反映してか1位を獲得。
その季節絡みで一つ面白いエピソードがありました。
5、6歳の少女を連れた母娘のお客様が見えたときの話です。二人とも人気投票に参加してくれて、母親がどれが好き?と聞くと娘は一通りじっくり見渡した後に『芍薬』と答えました。理由を聞くと「蕊の部分の細かい描き方が素晴らしいから」と子どもらしからぬ回答。会場に居合わせた一同注目の的となりました。今度は娘が「お母さんは?」と訊ねます。母親がどれを選んだか失念してしまったのですが、秋の植物のいずれかを選びました。そこで娘も同じように理由を聞くと母親は「秋だしね〜」と返します。それを聞いた娘は呆れ顔で「なんてつまらない理由!」と言い放ちました。そこにその様子を見守っていた高齢のご婦人が「大人ってイヤね〜」と重ねたものですから会場の空気がしばし穏やかな笑いの渦に包まれたのは言うまでもありません。
しかし、そのとき笑っていた大人たちは皆一様に複雑な心境に立たされていたことと思います。その少女が「つまらない」と一刀両断したのは季節を理由に主体的判断を放棄しているように見える大人たちの物事の捉え方で、かく言う私も芸工展の案内葉書を作る際は10月開催だから秋の植物をと特に迷いもなく『鳥兜+女郎花』を選んでいたのです。大人は四季折々の風流を解するようになる一方で、そのことが仕来りの一部ともなって形骸化し、季節依存のある種の判断停止状態に胡座を搔いてしまうところがあるのかもしれません。
投票結果は
1位 茶椿(10月27日)
2位 百日草(8月20日)
3位 芍薬(5月26日)
4位 燕子花(5月19日)
5位 アオスゲ(5月12日)
6位 ダリア(8月30日)
7位 百合(6月9日)
8位 カラー(6月2日)、鳥兜・女郎花(9月22日)
10位 白菖蒲(6月16日)
11位 竜胆・杜鵑草(9月29日)、浜菊(10月13日)
で、前半戦は『茶椿』と『芍薬』がトップ争いをしていたのですが、後半『芍薬』の票が伸びなくなって『百日草』に追い上げられ、3位に沈んでしまいました。票の入り方で特徴的だったのが、『芍薬』『ダリア』はほぼ女性票で、『燕子花』が男性票だったことです。『燕子花』を好む理由としてよく聞かれたのが青紫がかった花の色が好きだという意見でした。
ちなみに主宰者である m-louis の選んだ『竜胆・杜鵑草』は同票ビリっけつでした(汗)
修復作品 収蔵庫前壁面
『
『
上記2作品に関しては伝世舎から修復後に渡される報告書の一部も横に並べて展示し、修復前・後を比較しながら観ることができるようにしました。
晩年作とスケッチ 階段下壁面
このコーナーは少しごちゃごちゃしますが、ここまでで展示しきれなかった学生時代の植物写生と戦時中に半紙に軽く着彩した植物や野菜のスケッチ、そして晩年の額画や下絵を並べました。
残りの植物写生に関しては制作年から見て、一年生の授業時のものではなく、自発的に描いたのか描かされたのかはわかりませんが、着彩した『椿』(1932年)、墨画の『椎茸』『草芙蓉』(共に1931年)は学生時分に描いていたものです。
『茄子・豌豆・朝顔・黄蜀葵』は紙に1941年(昭和16年) 9月5日・12日と日付が入っていて、日本が真珠湾攻撃をしたのがその年の12月8日なので開戦少し前の時期に描いていたものと思われます。制作年不詳ながら半紙や藁半紙のような紙に描かれた『黄蜀葵』『秋葵』のスケッチもあって、これらは気を紛らすために描いていたのだろうかと思いたくなるところがあります。
戦時中に画業を離れ、工業高校の教員を約25年務め、退職後に再び絵筆を執り始めた金猊が晩年に遺した植物画も2点、展示しました。これらの作品は m-louis が生まれてから描かれ、洋間に飾られたりもしていたので比較的記憶に新しいものです。『牡丹花図』は庭に咲いている牡丹を描いたもので、『洋蘭図』は長女の美鷹が近所のケーキ屋の開店祝いで配られていたのを持ち帰り、描かれたものでした(「ごあいさつ」での買ってきたという記載は誤りです)。戦後、日本画の画材には合成顔料という、安価ながらこれまでの岩絵の具では出なかった発色をする画材が現れ、金猊は積極的にそれらを試しました。『洋蘭図』のレモン色の靄の掛かったような背景色などはこれまでの金猊作品には見られなかった色模様で、アメリカ抽象表現主義の画家、Clyfford Still の作品を思わせるところがなくもありません。
金猊はこれらの作品を描いた翌年、心筋梗塞で69歳の若さで亡くなります。下絵の状態で展示した『菊』は描き掛けのこれから彩色に入るだろう状態のまま遺っていました。金猊は学生時代にも菊を好んで描いていますが、晩年の菊の完成を見られなかったのが何とも残念です。
エントランス 立て看板
今年の芸工展ポスターはA4サイズのものが配布され、少し地味だったかな〜と思います。うちでは拡大コピーして枚数を増やし、それに加えて2006年からのポスターも合わせて貼ってみました。
また、例年通り、手拭い暖簾を垂らし、新たに立て看板を設置しました。これが思いのほか効果があったようで、今まで気にはなっていたけど入る勇気を持てなくてというお客様が多く入ってきてくださいました。来年以降も気軽に入りやすい雰囲気作りを模索していければと思っています。
最後にはなりますが、これらすべての準備や広報・記録に当たられました芸工展実行委員およびその関係者の皆様、今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。