丸井金猊

KINGEI MARUI

GO TO CONTENT

1938(昭和13)年7月

現展出品作家随感随想集- 壁畫に集ふ
美術眼 第一回現代美術展特輯號

 近頃夥しい展覧会の催し、曰く○○会、曰く○○社、曰く何々と、どれもこれも厄年過ぎての大年増が大皺小皺にゴフンを塡めて、チッチッパッパの画学生に入り混り、立ち劣り、いづれアヤメか杜若、見栄も外聞もおかまいなしのワンサ展目白押しの盛観は、いかに現当事変下、男の中の男達が挙げて大陸への大行動中とは云え、鬼の居ぬ聞の洗濯とて餘りにも慎みを忘れた穀ツプシ共の狂態ではないか。まことに夫れ芸術至上の高い襟度を誇る東洋君子国の、あれが銃後美術界の活況と聞くにつけ見るにつけ、浅ましくも愚かしくも情けなく、一日皇軍一城を抜かぬ朝ありとも夢寝にだにそれを忘られぬ夕とてはない。

 しかししかし、之もまた翻って惟みれば、打続く美術界最高水準線に於ける内紛相剋のアフレが官展乃至、老朽既成展に封する一帯一面の不信頼叉は敬遠の逆運とも見られなくはなく、些かなりとも過去に名を成し成さんとしたるの作家をしてあはよくばこのドサクサに漁夫の利を占めさせんとしたるにはあらざるか? 兎まれ角まれ破局のキヨクは吾人等未成の世にも全く現下の既成画壇を相手にせずの大決意を促す契機ともなり、独立独歩やがて東洋美術革新の大住石たらむ大抱負と勇猛心を確保させるの動機とも怠るベし。あはれよき時世に生れたるかな、家貧しうして孝子顕はれ、国乱れて忠臣現はるの譬え、この時なり。草履つかむも落選続くもヂリヂリミリミリと鈍根の太刀持ち、うんと気をふん張って地味な研究を積むべし励むべし。天命既に降れり、豈人事を悉くさざるべけんや。

 その意味から云って中山氏経営の現展たるやまさに吾人輩が夙に待望したりし技膽鍛錬の聖道場なり。あらゆる既成の概念と陋習を破り、白紙明鏡、一点の汚辱を止めざるの新分野を開闢し、美術界再建設の大旗を挙げての進軍は目覚ましとも晴々し。強将の下に強卒あり。経営と鑑審査に各々斯界無敵の将軍を据えたれば、前線に馳驅する出品者等は躊躇あらん様もあるべからず。

 やあやあ、遠らん者は目にも見よ、近くは寄って香に噎せよ。余輩は丸井ノ金猊なり。業物とっては現展に東洋画部随一の大作二点を擔ぎ込み、一作は栄光輝く大入選。何れ搬ぶにはガソリン統制下のトラック屋を悩ませ、受付ては春や二八の看守嬢を泣かせた彼の大物ゆえ、二作も入選とあっては池の群小──オット失敬──群中作品を数点も選外せざるを得ずと、東西に聞こえた名うての厳選審査員諸氏の眼にも餘り、ツバキならぬ高級トルコタバコのニコチンを呑んでの大悲涙大英断遂に一点は惜しや切捨御免られたりと雖も、夫れ「壁畫に集ふ」の優作はめでたく会場第三室の奥坐に飾られて天晴れ堂々四隣を壓するの大画面。描きも成したり玉の姫君十佳品、麗朗富士ヤマを背に菊華の装い裳裾に曳ける、蓮のうてなの額にかがやく、または海芋花(カラー)涼しき胸乳の抑へ。らうたけざるはなき妙の白ぎぬ、楚々たり緩々たり、さむらふ狗までも素直に白のゆかしさ。踏む絨毯は燃えて緋のいろ。動くとすれば奇にもくづれ、動かずというもしのぺる薫り。彼の女人等が背後なるが壁画か、この絵が壁画か、観る人おのづから画中にひかれておのれただ夢幻のアトモスフェアに自失するやせざるや。むベなるかな某氏夫人某令嬢相携へ相観て相語って日く、
「洋装(モダーン)の天女の絵ッてわけだわね」
「この流線型自動車(おくるま)、雪の上まで翔びそうね」
「素敵ッ!」
とは如何あらん。

 閑話休題、まことこの「壁畫」はわが深遠なる古典研究と雋鋭たる近代感覚との相乗的成果に外ならず。構成としては背景と群像との不卽不離の関係に意を秘め、構図としては経緯両線の並列交錯に策を練り、賦彩に於ては白黒金對七色の反映に効を瞩し、白描的筆致亦流動響鳴、気韻飽くまで高く品位ならびに備わるの至美を企図しまた顕現し得たと確信してはばからないのである。イヤハヤ

 はて、さて更に余輩賢察する処あり他なし。そは近来敢えて美術界のみにとどまらず一体に識者大家といふ人種ただ頑徹固陋ならざる限りその反動意識は全く余輩青年作家にとりて顰蹙に堪えざるものがある。例えて云わば、婚期に近き娘を持った有閑夫人が、娘をしのぐ若づくり、自ら派手なみなりでデパートをのし歩き、己が娘にも選んでチンピラ女優か女給の着そうな柄を買うて帰りわれとわが娘に顰蹙されるが底の所業に等しく、真意義の現代に生き次代を思う青年の深厚なる志操を察せず自戒を知らず、芸術の真に新なるものに対して現に自重せる青年層が操守し在る処の思潮を超えての、出過ぎたる見解や認識を持てる先輩大家が多々ありとすれば、わが日本美術界の危ふき哉。之は年頃文帝展を始めとして等しく鑑審査授賞の結果を見ればわかる真実だ。しかも之におもねるの軽薄少青年作家を簇出させるの妖しき実力を保有する彼等は何と罪深き存在であらう。之を利用し売物にする鑑賞界画商雑誌界の亡者共に至っては言語同断だ。

 由緒正しき良家の、長幼序あり、老若男女の別に従ひ、典礼悉くその分に応じて行往してこそ誇るべき伝統を伝統たらしめ、いやが上に家風を挙げ、やがて邦家の文化を確実に推進せしむる所以もあらう。如何に激しき汎世界的混冥の文化断層なりとは云え、そのあふりをくらって吾国古老大家までが卑しい若返り的認識と指導を爲すとは何と情けない事ではないか。名を成しそこねの悪アガキたら目もつむらう、児戯ならばゆるしもしよう。彼等が指導者たるの身分に於て爲る限りその罪は寓死に値すとも云ふべきである。

 然し、既に山も見えてゐる。最早彼等のホルモン効果も消滅しつつある。真に帝国々画を革新せんず気運は揺曳し、少壮気鋭の作家は地表に胚胎し発芽しつつある。温床(フレーム)に陽も当って来た。

 時節到来、わが現展は肥土を拓いた。吾人はただ吸収すべきを吸収し、摂取すべきを摂取し、自ら根を張り自ら伸びればよろしい。頼むべからざるを頼まず、添ふべからざるに添はざればよろしい。虚心坦懐、ひたすらに皇国が霄壊無窮の眞に信念し操守しつつ己が技と神をみがくべし。

 現展の新戦線に、重ねて名告らう。
「吾は丸井ノ金猊なり。業ものとっては無双の健剛、よく萬間の壁画をものし、思ひをひそむれぽ透徹洞察、よく森嚴静謐の玄微にいたらん──続け若人よ、集へわが壁画に‥‥」と。

屏風『壁畫に集ふ』を出品した現代美術社主催「第一回現代美術展」を特集した同社発行の美術雑誌『美術眼』に掲載された出品作家たちの随感随想集。金猊の長文がその冒頭に掲載される。
尚、この雑誌は、日本美術全集の解説執筆のために調査に入られた新潟市美術館学芸員の藤井素彦さんが目にもとまらぬ早業で発掘され、そのコピーの写しを m-louis が OCRスキャニング後に校正・一部現代仮名化したものである。