丸井金猊

KINGEI MARUI

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第5号壁 菩薩半跏像(吉岡堅二 稗田一穂 麻田鷹司)

第五号壁(菩薩半跏像)再現壁画 全図
縦309.8cm × 横(上幅)158.0cm (中幅)153.6cm (下幅)156.8cm
第2号の半跏思惟菩薩を裏返しにした形で、第2号壁と比較すると表情はやや厳しい。

法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」

第5号壁 菩薩半跏像
吉田堅二 稗田一穂 麻田鷹司(安田班)

「第5号壁 菩薩半跏像」を担当した吉岡班の吉岡堅二、稗田一穂、麻田鷹司のうち、本記事では稗田一穂氏のメッセージと作品を紹介いたします。

法隆寺五重塔 相輪 - 2020年2月5日 m-louis撮影五重塔の尖端の水煙が、蒼い空、静かに流れる自いちぎれ雲に、相輪(そうりん)が動くように見える。少年の時のこの印象と、ことし訪ねて仰ぎ見た五重塔は不思議なほど同じであった。回廊を巡らす静寂な境内に、高く立つ五重塔と低く重厚な金堂。この境内の静けさと空気は、遠い千三百有余年の多くの歴史を秘めながら変りなく見え、時代が、衆が、人が、私の魂をゆさぶる。

思ってもいなかった法隆寺金堂壁画の仕事の一員に加えられ、私は初めて壁画を見た時の少年のころが強く思い出された。東に生駒、信貴、葛城の山脈を朝夕眺めながら育った私は、奈良の寺々や飛鳥川のほとりを、父に連れられて春秋の気候のよいころによく歩き回った。その寺々や歩く先々は、少年の私に予定も知識もあるはずもなくすべて父まかせではあったが。

戦前のまだ壁画の模写も始まっていないころ父に連れられて法隆寺に行った折が最初であった。もちろん父は壁画が見られると思ってもいなかった。父は多分俳句によまれた法隆寺の斑鳩の里の雰囲気に触れたかったのであろうかと思われる。天王寺駅から汽車に乗り法隆寺駅から歩いた。広い田んぼの中からはるかに望まれる松並木が美しかった。いい気候の秋であった。型の如く金堂に拝観に行くと、壁面にかかった白布が寄せられていて壁画が見えた。ちょうど皇族の方が見えるので特別に短時間見せるということで、僅かな時間ではあったが内陣に入って幸運にも壁画を間近に見ることができた。暗い堂内、そしてかびのような独特な匂い。私たちだけの殺した足音が響き参観者はほかになかった。壁画がいかに貴重なものであり、すぐれたものであるかを理解する年齢ではなかったが、肉太な朱の線と、今にも崩れ落ちそうな壁の一部分が板ガラスで押えられていたのが強烈な印象として残っている。後に戦争中美術学校の学生旅行で法隆寺を訪れるまで三、四度訪れたが、金堂の壁画を見たのはその旅行の折りとのただ二回だけであった。模写はその時既に始っており模写の方々の休憩時間中に、脚立に登ってごく一部分ではあるが間近に色彩や線を見る事ができ、明るい螢光燈の下に照らされた美しい緑青の断片が、堂内の動いていない空気にも震えるようにゆれて、今にも落ちそうに浮いていた。

壁画は焼失してしまった。失われたがゆえに私にはなお印象が強烈に思われるのかもわからない。十二壁のうち最も破損のひどい7号壁は、いま思えば当時私の印象に強く焼きついているガラスで押えてあった壁画であったろうと思われる。

格調ある強靭な力を秘めた私の印象の壁画を想い、他の諸先輩に比してほとんど壁画に接していないといっていいくらいにその智識も経験もない私の一年間の仕事を振返ると、ますますその失われた壁画のたくまざる力の強さを感じ恥じる。

飛鳥の流れのほとり、蘇我の入鹿の墓石になにげなく鍬を立てかけて一服していた農夫の姿ののどかな大和の平野、斑鳩の里のなだらかな空気、土塀の民家の壁のぬくもり、この一年間の仕事中私の頭の中に、父と巡った少年の時のそれらの風景が壁画の力強い線と重なり、強く去来し続けた。

法隆寺再現壁画 大型本(朝日新聞社・1995年10月刊行)より
赤色下線が展示予定フレーズ、緑色下線は候補となったフレーズ

第五号壁(菩薩半跏(はんか)像/半跏思惟(しい)菩薩像/半跏形菩薩像 (*1))解説

縦309.8cm × 横(上幅)158.0cm (中幅)153.6cm (下幅)156.8cm

法隆寺金堂壁画 第5号壁 菩薩半跏像
Zoom 法隆寺金堂壁画 ㊧第5号壁 菩薩半跏像 ㊥第2号壁 菩薩半跏像(反転) ㊨同2号壁

2号壁の半跏菩薩を裏返しにした形で、寸法もほとんど同じ。上方の偏平形の天蓋や華足付の蓮台など、形はほとんど2号壁に一致しているが、2号壁と比較すると表情はやや厳しく、かつ肉線もやや太い。

丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1f 展示プラン

法隆寺金堂の西側に位置する第5号壁と同様に丸井金猊ラボ∞谷中M類栖/1fでも西壁南側に223.4×111.8cmの約70%サイズに縮小したプリントを壁面張り付け。

丸井金猊「写と想像⇄創造展」展 西側壁面 - 法隆寺金堂壁画 第5・6・7号壁プリント
※著作権の都合で、法隆寺金堂壁画の複写画像はモザイクを掛けています。

画家の言葉・引用フレーズ

戦前のまだ壁画の模写も始まっていないころ父に連れられて法隆寺に行った折(中略)金堂に拝観に行くと、壁面にかかった白布が寄せられていて壁画が見えた。ちょうど皇族の方が見えるので特別に短時間見せるということで、僅かな時間ではあったが内陣に入って幸運にも壁画を間近に見ることができた。暗い堂内、そしてかびのような独特な匂い。私たちだけの殺した足音が響き参観者はほかになかった。壁画がいかに貴重なものであり、すぐれたものであるかを理解する年齢ではなかったが、肉太な朱の線と、今にも崩れ落ちそうな壁の一部分が板ガラスで押えられていたのが強烈な印象として残っている。

模写はその時既に始っており模写の方々の休憩時間中に、脚立に登ってごく一部分ではあるが間近に色彩や線を見る事ができ、明るい螢光燈の下に照らされた美しい緑青の断片が、堂内の動いていない空気にも震えるようにゆれて、今にも落ちそうに浮いていた。

*1)菩薩半跏像は、資料によって表記が異なり、半跏思惟菩薩像は宝塚市立中央図書館「宝塚歌劇のあゆみ」展資料での記載、半跏形菩薩像は法隆寺再現壁画 大型本(朝日新聞社・1995年10月刊行)で記載されており、本稿および金猊サイト内では東京国立博物館 特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音図録Wikipediaでの記載表記に従って「菩薩半跏像」で統一することにした。

序    法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」
第1号壁   釈迦浄土図・・・・・吉岡堅二(吉岡班)
第2号壁   菩薩半跏像・・・・・羽石光志(安田班)
第3号壁   観音菩薩像・・・・・平山郁夫(前田班)
第4号壁   勢至菩薩像・・・・・岩橋英遠(安田班)
第5号壁   菩薩半跏像・・・・・吉岡堅二 稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)
第6号壁   阿弥陀浄土図・・・・安田靫彦 吉田善彦 羽石光志(安田班)
第7号壁   聖観音菩薩像・・・・稗田一穂 麻田鷹司(吉岡班)
第8号壁   文殊菩薩像・・・・・野島青茲(橋本班)
第9号壁   弥勒浄土図・・・・・橋本明治(橋本班)
第10号壁 薬師浄土図・・・・・前田青邨 守屋多々志(前田班)
第11号壁 普賢菩薩像・・・・・大山忠作(橋本班)
第12号壁 十一面観音菩薩像・・前田青邨 近藤千尋(前田班)