法隆寺金堂壁画の「写と想像⇄創造」
第12号壁 十一面観音菩薩像
近藤千尋 前田青邨(前田班)
「第12号壁 十一面観音菩薩像」を担当した前田班の前田青邨、近藤千尋のうち、本稿では 近藤千尋氏のメッセージと作品を紹介いたします。 前田青邨氏のメッセージ+作品は「第10号壁 薬師浄土図」にて。 12号壁は焼損以前はたいへん黒い壁であっ...
「第12号壁 十一面観音菩薩像」を担当した前田班の前田青邨、近藤千尋のうち、本稿では 近藤千尋氏のメッセージと作品を紹介いたします。 前田青邨氏のメッセージ+作品は「第10号壁 薬師浄土図」にて。 12号壁は焼損以前はたいへん黒い壁であっ...
このたびの模写事業の話を最初にお聞きしたのは、 一昨年の暮れもようやくおしせまるころであった。何しろ大変な仕事だし、以前に多少の経験があるとはいうものの、今度の場合は前の時と立場も大分異ることなので、私一存にての決断もつきかね、山口蓬春先生...
「第10号壁 薬師浄土図」を担当した前田班の前田青邨、守屋多々志のうち、本稿では 守屋多々志氏のメッセージと作品を紹介いたします。 同10号壁全体図と前田青邨氏のメッセージ+作品はこちらにて。 * 今回の仕事は、従来の古画落剥模写ではなく、...
「第10号壁 薬師浄土図」を担当した前田班の前田青邨、守屋多々志のうち、本稿では 前田青邨氏のメッセージと作品を紹介いたします。また同10号壁の部分画像を、 守屋多々志氏のメッセージと作品と共に別ページにて紹介いたします。 私は焼損前の模...
昭和24年1月26日早暁、法隆寺金堂の壁画焼失というニュースを私が新聞で知ったのは、たまたま展覧会の打合せのため泊っていた伊豆伊東の宿屋においてであった。そのときの驚きは、おそらく一生忘れられないであろう。文字通り、失神せんばかりの驚きであ...
○昭和42年3月1日模写始める。 ○八号壁(文殊菩薩) ○基本方針 焼失直前の状態を忠実に再現する。ただし壁画の汚れ、亀裂、剥落は状況によって色を薄くするなど壁画の美しさを出すように努める。壁の感じを出すように努める。 ○資料 原色写真など...
先刻、やっと7号壁が完成して、引渡したばかりである。思えば壁画に明け壁画に暮れたこの一年間であった。そもそも一昨年秋、法隆寺金堂壁画再現模写に参加することにきまった時以来の、あのいいようのない重圧感から、今やっと解放された。急に春めいた陽の...
「第6号壁 阿弥陀浄土図」を担当した安田班の安田靫彦、吉田善彦、羽石光志のうち、本稿では吉田善彦氏のメッセージと作品を紹介いたします。同6号壁全体図と安田靫彦氏のメッセージ+作品はそのページにて紹介いたします。 * 法隆寺の金堂炎上以来、2...
「第6号壁 阿弥陀浄土図」を担当した安田班の安田靫彦、吉田善彦、羽石光志のうち、本記事では安田靫彦氏のメッセージと作品を紹介いたします。また同6号壁の部分画像を、吉田善彦氏のメッセージと作品と共に別ページにて紹介いたします。 * 法隆寺金堂...
「第5号壁 菩薩半跏像」を担当した吉岡班の吉岡堅二、稗田一穂、麻田鷹司のうち、本記事では稗田一穂氏のメッセージと作品を紹介いたします。 * 五重塔の尖端の水煙が、蒼い空、静かに流れる自いちぎれ雲に、相輪(そうりん)が動くように見える。少年の...
戦時中、金堂内で模写をしている現場を間近に見る機会をえ、けい光燈の明るさの中で壁画に接したことは大きな感激であった。が、ただ一つ心にかかったのは絵と無関係に思われる藁(わら)が克明に写されていることで、壁画の大部分が足場などに隠れていたせい...
前田青邨先生の指導のもとに私は3号壁を担当した。 朝日新聞社企画部の方から、だれか一壁一人で模写を試みたらという話があった。 結果的には私が引受けた形になったが、最初から自信を持って進んでやったかのように不遜に思われるが、逆である。 法隆寺...
私どもの担当は6号壁と2号壁であった。申すまでもなく、6号壁は法隆寺金堂壁画中の白眉で、その比類のない美しさはあまねく知られているところである。 三尊のお顔は安田靫彦先生がおひきうけ下さるとのことだし、前回の模写に経験を持たれる吉田善彦さん...
ある年、あるところで、われわれの仲間がたのしい会合をしていた。ラジオのスイッチを朝のニュースに入れた途端、法隆寺金堂炎上が報ぜられ、今まではしゃいでいたわれわれを愕然とさせた。それは忘れることのできない、昭和24年(1949年)1月26日の...
本来であれば本日5月1日から丸井金猊「写と想像⇄創造」展が開幕していたはずなのが、新型コロナウイルス感染の影響で10月に延期となり、実質まだ展示の準備も出来ていないような状態です。主催者の私が大阪在住のため、東京の谷中まで行けないという問題...