2008年 いまあざやかに 丸井金猊展 図録
④古今東西
山本陽子(美術史学者)
しかし金猊の東京美術学校(現東京藝術大学)時代の習作を見ていると、どうやら謎が解けてくる。衣のひだを写生したものが、たくさんあるのだ。実際の布を
仏像のような古美術を日本画学習の手段として写生するのは、岡倉天心以来の東京美術学校の伝統であった。その草創より前、大先輩となる狩野芳崖にも古美術のデッサンが残り、また悲母観音図以前には、シャンデリアの下で鬼を捉まえる仁王の絵というものまである。古美術を学び、西洋文化も取り入れる、古今東西の取り合わせという発想もまた、東京美術学校で身に付けたものではなかったか。
このような東西の古美術作品の学習は、金猊のこの屏風の思わぬところにも顔を出している。赤いストールをかけた女性の持つ菊花を挿した壷は、白地レキュトスと呼ばれる古代ギリシャの出土品で、その文様のギリシャ女性像まで細かく描いてある。(*1)
一方、脇で少女が捧げる香炉は法隆寺献納宝物の
本物であれば国宝級の東西文化が、実にさりげなく並列されている。それとともに、このような古美術を現代風に装飾品として活かすデザイン感覚も、これが七十年も前のものと思うと、驚きである。
そしてこの絵の左端にほんの少し、白いカーテンが見えている。なぜこんなところにカーテンがはみ出しているのか、だらしないとつい思ってしまうではないか。これもお茶目なだまし絵なのである。金猊はきっと、古代ギリシャの画家パラシオスのカーテンの絵のエピソードを思いつつ描いたに違いない。大画家ゼウクシスが、パラシオスの描いたカーテンを実物と思い込んで、パラシオスにその邪魔なカーテンを開けて中の絵を見せよと言ってしまった、鳥さえも欺くような絵を描くゼウクシスがパラシオスのだまし絵に負けたという話である。カーテンに騙される私たちに、金猊も泉下でにやりと笑っているだろう。
もしも戦争がなかったら、このまま古今東西美術の融合を試み続けていたら、金猊はいったいどのような作品を描いていただろうかと、思わないでもない。それでも工芸図案科の教諭となって、やはり若い人への美術教育に情熱を傾けたであろうか。
*1)本来ここで段落改行とはなっていませんが、画像挿入の都合で改行しました。
2008年一宮市博物館 特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」図録に寄稿された山本陽子さんの金猊論。本論はその第四章「古今東西」。
- 序
- 第一章 壁畫に集ふ
- 第二章 百済観音のリニューアル
- 第三章 仏像のリボン
- 第四章 古今東西
- 最終章 天馬翔る
- テキストのみ全文 PDF[3P/222KB]
最終章「天馬翔る」でも言及されるが、山本陽子さんは学生時代に晩年の金猊と直接話しており、「美術」の視点から生の金猊を語れる数少ない存在である。