神奈川工業高校工芸図案科の卒業生、原耕一氏の展覧会が銀座のクリエイションギャラリーG8 とガーディアン・ガーデンの2会場で同時開催されています。
タイムトンネルシリーズ Vol.29
原耕一 アートディレクション展「もうちょっとだな」
2009年10月19日(月)~11月20日(金)
11:00a.m.〜7:00p.m. 日・祝日休館(土曜日は開館) 入場無料
会場:クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン(アクセスマップ)
このタイムトンネルシリーズでは展覧会と同時に取り上げたクリエイターの小冊子を発行していて、今回、原耕一氏が書かれたテクストの中には金猊のことが「マルキン」というニックネームでユーモラスに書かれていたので、その一文を紹介させていただきます。
--転載開始-----
神奈工には、いい先生がいらっしゃったんですよ。中里貞浄さんとかマルキン──*丸井金蔵さん──とかね。マルキンは、もう授業が長くて長くて。美術史を教えてくれるんですけど、天平時代のあたりでもう、一年終わっちゃう。おもしろい先生でしたよ。時代による瓦の形の違いを延々やる(笑)。
美術の玉神先生は、シュルレアリスムが専門で、とにかくシュルレアリスムばっかり。でも、先生方が本当に夢中になって教えてくれていることが伝わってきたから、とてもいい勉強ができたっていうことなんだと思う。習ったのは、かっこいい言葉で言うとスピリットですね。それしかない。技術的なことは、まあわからない。
註釈 *丸井金蔵(1909〜1979)
画家。愛知県生まれ。丸井金猊の名前で活動。東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科卒業。和洋エジプト混合の独自の画風で活躍し、1937年には東宝劇場階段ホールの壁画を制作。29歳で筆を置き、教育界に転身。1948年から1971年まで神奈川工業高校の工芸図案科教諭を務めた。
--転載終了-----
マルキンのアダ名は他の卒業生の方からも何度か聞かされて知ってましたが、「時代による瓦の形の違いを延々〜」のくだりは、細谷巖氏による正倉院の平螺鈿背八角鏡の模写をさせられたというエピソードを想起させられ、その後も高校生相手に古物や古典に当たらせる授業はずっと続いていたことを改めて確認できました。
先日の芸工展では別の神工卒業生の方が、学生時代は金猊があのような日本画(「壁畫に集ふ」のような)を描いていたことを知らなくて、でも、もしそれを当時知っていたら古典指導の受け止め方もだいぶ違ったろうに・・と漏らされていたのが印象に残っています。確かに高校生にシュルレアリスムならまだしも古典は遠いですものね(想像力のリアリティにおいて)。
あと、諸先生方の中でマルキンだけ註釈が付いているのは、もしかすると金猊だけ比較的容易に個人情報(略歴)が入手できたからかもしれません(つまりネットで)。もしこの小冊子が15年前に発行されていたら、金猊に註釈は入らなかったことでしょう。
そう考えると金猊の再評価にネットは不可欠です。しかし、金猊本人はネットどころかファックスも知らずに死んでしまったわけで、もし百歳の金猊が未だに教鞭に立っていたとしたらネットやコンピュータとどう向き合っていたのか、見てみたかったところでもあります。