金猊馬考 ⅠI - 四つの評価軸

Meditations on KINGEI HORSE 2

芸工展2014「金猊馬考」展では展示準備に向けての発見や考えを書き落とした試論「金猊馬考」のテキストを連載中です。
所蔵者目線のゆる〜いテキストですが、脚註は展示にも活かせるよう充実させるつもりです。
PDF版(986KB/3ページ)も用意しましたので、紙好きな方はダウンロードしてご覧ください。

四つの評価軸

谷中M類栖・芸工展2014「金猊馬考」展では、丸井金猊の初期軸作品1点、焼失した東宝劇場壁画の下絵と写真パネルを1点ずつ、制作時期不明の左右対の作品2点、晩年の額作品3点(うち1点は写真パネル)、そして校友誌等に掲載された挿絵など、金猊の手掛けた馬リソースを可能な限り展示する予定である。

次回のテキストから一点ずつ個別に作品を観ていきたいと考えているが、今回はそれらの作品を検証するにあたっての物差し(評価軸)のようなものを事前に提示しておこうと思う。ただし、それは美術批評や美術史の専門性に寄って立つものではない。どちらかというと価格.comのユーザーレビューで用いられるようなユーザー志向の評価軸で、作品をどういう系統のものと位置づけるものではなく、傾向の度合いを確認しようとするものである。それは人によって見方は違うだろうし、一個人の中でも時期によって差は生じ、今回の展示を通じて私個人に変化があるかもしれない。いや、むしろそれを楽しみにしているとも言える。

その評価軸を考える上で念頭にあるのが「金猊はなぜ馬の絵を多く手掛けたか」という今回の主題なのだが、それは個別作品を見ながら考えていくとして、ここではもっと手前に戻って、そもそも「人はなぜ馬の絵を描いてきたのか」さらに極論に遡るなら「人はなぜ絵を描くのか」という地平でその軸を考えてみたい。

ラスコー洞窟の壁画絵画の起源というと緒論ありそうだが、そこを穿り返すのは専門家に任せ、自分の頭にパッと思い浮かぶのはフランス西南部にあるラスコー洞窟の壁画や天井画である。
Wikipedia によれば1940年にラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子どもたちによって発見され、その後の調査で15000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていたことが判明する。観光地としても知られていたので美術に明るくない人でも洞窟に描かれた牛のドローイングくらいはイメージできるのではないだろうか。しかし、Wikipedia によれば、牛だけではなく、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間等が描かれていたと記される。
そう! 15000年前の時点で牛だけではなく、馬の絵も描かれていたのだ!(*3)

Ramses II at Kadeshここで馬の情報に目を移そう。Wikipedia「ウマ」の「人間によるウマ利用の歴史」から抜粋すると、ウマの先祖は200万年前から100万年前にあらわれ、ヒトは古い時代からウマを捕食し、毛皮を利用していた。ウマが家畜化されるのは紀元前4000年から3000年頃で、ヒツジ、ヤギ、ウシの家畜化はその4000年ほど前あたりからという。紀元前2000年頃には馬車が地中海から黄河流域の中国まで広く使われるようになり、紀元前1000年頃にはウマに直接騎乗する技術の改良が進められ、東ヨーロッパからモンゴル高原にいたる草原地帯で「遊牧」という生活形態が広がる。紀元後、ヨーロッパの騎士や日本の武士のような非遊牧民の間でも騎兵を専門とする戦士が登場。しかし、15〜16世紀の銃の普及による軍事革命で騎士階級は没落し、近世、ウマは競馬や乗馬などの娯楽・スポーツにおいて親しまれる存在となっていく。

以上、かなり大雑把にウマの歴史を掻い摘まんでみたが、まず一つ言えるのは15000年前のラスコー洞窟に描かれた馬や牛は家畜ではなかったということである。つまり壁や天井に描かれていたのは狩猟対象としての馬や牛の絵ということになる。ここで「人はなぜ馬の絵を描いたのか」もう少し想像の翼を広げてみよう。

ラスコー洞窟の壁画家畜ではなく、狩猟対象としての馬ということは、まず単純にそれらが常時手元にあるものではない(所有していない)ということを意味する。その不足は人の身体や精神に空腹や寒さといった直接の影響を齎す。そこで牛や馬の肉や皮があれば...という渇望から牛や馬の姿を思い浮かべ、衝動的に絵を描くということは考えられないだろうか。子供の頃、食べたいものの絵を描くくらいの経験は誰でもしているはずだ。さすがにそこで動物の姿形を描かないのは食卓に並ぶ食肉が家畜加工物だからだが、その姿形のまま食卓にのぼる野菜果物や魚が食べたいものとして描かれるということは充分に考えられる。と同時に食べたくないものをわざわざ描くという行為はあまり考えられない。そこで少々強引だが、人が(馬の)絵を描く動機として、まずシンプルに欲しているものを描く、旧石器時代であれば狩猟対象としてつかまえたい(空腹を満たしてくれる)存在を描く。その衝動や欲望を第一の手掛かりとして考えていきたい(衝動・欲望)。

ラスコー洞窟の壁画続いて考えられるのが、馬や牛の存在や生態を仲間に伝えようとして描いたのではないかということである。おそらく当時でも狩猟は一人で行えるものではなく、動物の動きを研究し、どのように追い込むか情報共有し、チームワークを働かせることで狩猟効率をあげていたはずだ。そのために絵を描いて作戦会議を行うということも考えられないことではない。そして、そこに描き残された絵が当時まだ存在しない文字の代わりとなって、後世に伝わる役目を果たしたことも考古学が証明している(伝達・継承)。

ラスコー洞窟の壁画しかし、そうした情報をもとに戦略を練っても、気象条件や環境によっては狩猟に失敗し、餓えに堪え忍ばなければならない時期もあっただろう。そんなとき人類が今の今まで繰り返し行ってきたのは神頼みならぬ祈りという行為だ。そしてその祈る際には祈りを捧げる対象があった方が祈りやすいというのは、人類不変の真理(心理)ではなかろうか。狩猟対象自体を祈りの対象として壁画に描いたとも考えられるし、対象化されたことで神格化し、馬や牛のもつ生命力に畏敬の念が持たれた場合も考えられよう(崇拝・偶像)。

ラスコー洞窟の壁画そうした畏れを抱いても尚、人間は自己を誇示したがる動物だということもまた変わらないところだろう。釣り人が大物の魚拓をとりたがるように捕獲した獲物を誇示する目的で絵が描かれることも考えられるし、また、絵を描いた人自身が己の画力を見せつけたいという心理に囚われること、それもまた誇示行為の一つだろう。後年、その技量は「画家」という確固たる地位を暫し保証するものとなる(誇示・名誉)。

以上、ラスコー洞窟をきっかけに想像の翼を広げ、馬の絵を描く四つの動機を妄想してみた。ラスコー洞窟に限らず洞窟壁画は現存する人類最古の絵画とされるだけに様々な分野からの研究がなされている。しかし、物的証拠の不足や現代の思考力で旧石器時代の考え方を理解しようとするのには無理があることから、どの説が正しいかを判断することは不可能な状態と言われている。もちろんここで挙げた四つの動機はそれらの研究からすれば素人の稚拙な着想にすぎないが、原初に想像される諸条件というのは大概においてその後に派生・展開・変転する状況を背負っているものであり、ここで想像した四つの動機をこれから「人はなぜ馬の絵を描いてきたのか」「金猊はなぜ馬の絵を多く手掛けたか」を考える物差しの基盤としていこうと思う。

四つの評価軸

その四つの動機を強引ながらも狩猟時代と家畜時代に分断し、各軸から導かれる関係性を半ば言葉遊び的に書き加え、並置したのが上記図である。ラスコー洞窟への想像においてそれらは曖昧で両義的に捉えられるものだったが、「金猊/人はなぜ馬の絵を〜」を考える上では敢えて現代の割切り型社会の体系に一旦引き落としておいて、個別の作品を検証しながらそれがどう揺らぐかを見ていきたい。つまり、この図は暫定的なものである。特に四軸の関係を整理するために当てた単語にはそれらの関係を意識させたいがための無理と飛躍がある。その個別解説もまた、金猊の馬作品を見ていく中で補足しつつ、修正・変転の必要があれば気軽に可能性の幅を広げていきたい。

脚註

*3)ラスコー洞窟の馬の絵

ラスコー洞窟4洞窟内の馬の絵の話の前に、現在のラスコー洞窟の状態について軽く触れておきたい。
戦後一日2000人近い見学者を引き寄せる観光地となっていた洞窟も、観客の吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化したため、1963年以降閉鎖され、現在は一部の研究者を除き非公開となり、本物の洞窟から数百m離れたところにレプリカ「Lascaux II」が1983年に作られ、一般公開された。その後、III、IVが国内外で移動式展示というスタイルで展示され、見学の機会は広がっている。サイトやブログに掲載された訪問者のコメントによれば、レプリカでも本物じゃないかと思えるほど、仕上がりは良いらしい。

杉山寧『ラスコー洞窟壁画2』1963年左の画像は杉山寧(*1)が1963年に描いた「ラスコー洞窟壁画2」という作品である。杉山は1962年にエジプトからフランスまで写生旅行をしており、最後にラスコー洞窟を訪れている。つまり、彼は閉鎖される直前に本物のラスコー洞窟を見ているのだ。八年会(東京美術学校・日本画学科の同窓会)で金猊は杉山の見てきた世界の話をどのくらい聞いたのであろうか。

尚、ラスコー洞窟の公式サイトは仏英独スペイン語で用意されているが、いまさらの Flash 制作なので凝った作りではあるが著しく見づらい。
http://www.lascaux.culture.fr/

試論

  1. 金猊馬考 Ⅰ - はじめにPDF: 1MB/3ページ)2014.7.29
  2. 金猊馬考 ⅠI - 四つの評価軸PDF: 986KB/3ページ)2014.8.23
  3. 金猊馬考 Ⅲ - 馬上太子圖PDF: 1.2MB/5ページ)2014.10.27

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