1935(昭和10)年 4月, 25歳 東京・私立川村女学院美術科講師、並びに常任幹事職員
1941(昭和16)年 5月, 31歳 私立川村女学院退職
1942(昭和17)年 1月, 32歳 東京・私立帝都学園高等女学院教諭
1942(昭和17)年 3月, 32歳 私立帝都学園高等女学院退職
1942(昭和17)年 4月, 32歳 埼玉県立浦和第一高等女学校教諭
1945(昭和20)年12月, 36歳 同女学校高等官待遇(内閣)、地方教官二級
1946(昭和21)年 3月, 36歳 埼玉県立浦和第一高等女学校退職
*1946(昭和21)年 4月, 36歳 東京美術学校・日本画科講師
1947(昭和22)年 4月, 37歳 東京美術学校・工藝科講師
1948(昭和23)年 3月, 38歳 東京美術学校講師退職
1948(昭和23)年 4月, 38歳 新制神奈川県立神奈川工業高校教諭 工芸図案科勤務
1965(昭和40)年 4月, 55歳 同校工芸図案科と木材工芸科を合併し、産業デザイン科へ
1971(昭和47)年 3月, 61歳 県立神奈川工業高校退職
1946(昭和21)年 4月, 36歳 東京美術学校・日本画科講師
上記の一行については『東京芸術大学百年史』に掲載された情報から抜き出したもので、金猊本人が書き残した履歴書では未掲載の情報となるため、「 * 」マークを付けて灰色表示にしました。