丸井金猊

KINGEI MARUI

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唐本御影写 聖徳太子二童子像* - Portrait of Prince Shotoku

唐本御影写 聖徳太子二童子像*

1928(昭和3)年 18歳
絹本彩色, 額 50.8×38.5cm
個人蔵(愛知県江南市)

Portrait of Prince Shotoku

1928, 18 years old
color on silk, framed 50.8×38.5cm
Private Collection: Konan-shi, AICHI

署名はないが、筆致からして「聖徳太子二童子像*」とほぼ同時期(愛知県立工業学校を卒業する直前)の作品と推測され、旧一万円札紙幣に採用されていたことでも知られる「唐本御影(とうほんみえい)」の聖徳太子像影写本のいずれかを参照しつつ、独自にアレンジを加えたものと思われる。

唐本御影の原本は1878年まで法隆寺が所蔵していたが、「法隆寺献納宝物」の一つとして皇室に献納され、現在は御物となっている。我々が目にする多くはその模写画であり、時代時代で複数の模本が残されている。下記に『昭和大修理完成記念 法隆寺展 昭和資材帳への道(1985年)』図録に紹介された画像と解説を転載する。

89. 聖徳太子二童子像 模本 江戸時代 95.3×53.1cm

聖徳太子二童子像 模本本図は宮内庁所蔵・御物聖徳太子像の影写本である。原本は古く太子俗形御影、あるいは唐本御影と呼ばれ、聖徳太子の最古の肖像画として著名である。太子は幞頭をかぶり、太刀を佩き、笏を持った立像で、その前方に髪を美豆良(みずら)に結った殖栗王が立ち、後方に山背大兄王が従い、いずれも軽く歩を進める姿に描かれる。こうした三尊形式は、初唐の間立本筆『帝王図巻』などの唐本に範をとったものとされ、原本にみる簡潔明快な賦彩法と相まって、わが国早期の肖像画を代表する一作となっている。なお原本は明治初年(1868年)、法隆寺より皇室に献納されたものである。本図は裏書により、幽竹法眼が模写し、宝暦13年(1763年)に修復された旨が知られる。

聖徳太子二童子像*」同様に細部に目を向けると、調度品の装飾具への関心とそれを画に取り込んで再構成しようとする意欲が強く見られ、ブランク時期はあれども若い頃から晩年に至るまでその傾向は変わらない。

聖徳太子をモデルとした作品はこの他に少なくとも二点あり、一つは先の「聖徳太子二童子像*」、もう一つは愛知県一宮市今伊勢町馬寄の親戚方(金猊の姉・三女ゆうの遺族)に「馬上太子圖」がある。

愛知県江南市の親戚方(金猊の妹・八恵の遺族)で所蔵していて、皺・しみ・破れと状態があまりよくない。できれば裏打ちするなどの修復が待たれるところである。

タイトルは、当初「聖徳太子圖」と仮付けしていたが、2008年10月の芸工展で「聖徳太子二童子像」、さらに2015年4月に「唐本御影写 聖徳太子二童子像*」と変更した。

展示履歴

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