Chronological Table - 総合年表 -
Year+Age | Kingei's History - 丸井金猊履歴 - | Period - 時代背景 - |
明治39年(1906) | 岡倉天心『茶の本』出版 |
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明治42年 1909, 0~1歳 |
10月19日、愛知県葉栗郡北方村(現・一宮市北方町)大字中島字西郷1393番地(Google Map)で丸井貝二・みわの三男として生まれる。兄妹は9人兄妹姉妹。本名は丸井金蔵(きんぞう)。 同年誕生の著名人に太宰治(〜1948)、松本清張(〜1992)、淀川長治(〜1998)など。 |
10月20日、杉山寧、東京浅草で誕生 10月26日、伊藤博文暗殺(ハルピン) |
大正3年〜7年(1914〜1918) | 第一次世界大戦 | |
大正11年 1922, 12~13歳 |
3月、葉栗郡北方尋常高等小学校尋常科卒業。 ※中学入学卒業・高校入学時期は不明 |
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大正12年(1923) | 9月1日、関東大震災 | |
大正15年(1925) | 5月、第一回聖徳太子奉賛展 | |
昭和3年 1928, 18~19歳 |
3月、愛知県立工業学校図案科卒業。 4月、東京美術学校日本画科入学。同期生に杉山寧・川本末雄・吉原正道氏ら。 5月、東京市本郷区根津須賀町23 福田松齢方に下宿。 11月、東京市下谷区谷中清水町20 和田方に下宿。 |
2月、最初の普通選挙実施 7月、国画創作協会日本画部解散 9月、再興第15回院展 11月、ミッキーマウスが映画初登場 |
昭和4年(1929) | 国宝保存法制定 世界大恐慌始まる ニューヨーク近代美術館(MOMA)開館 |
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昭和5年 1930, 20~21歳 |
1月15日、長兄・久右エ門、病没(享年26歳)。 6月、国際美術協会主催第一回美術展覧会に出品、入賞首席。 ※画題「菊」二曲屏風半双、東京・平尾賛平商店(レート化粧品)平尾賛平氏買上 7月、東京市下谷区谷中坂町63 藤田方(春日館)に下宿。 |
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昭和6年 1931, 21~22歳 |
6月、国際美術協会主催第二回美術展覧会に出品(無鑑査)。 ※画題「閑庭」二曲屏風壱双、公爵近衛文麿氏買上 |
平櫛田中が岡倉天心記念銅像除幕式 満州事変勃発 羽田飛行場(東京国際空港)開港 |
昭和7年(1932) | 3月、満州国建国 5月、五・一五事件 8月、小林一三が東宝劇場設立 |
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昭和8年 1933, 23~24歳 |
1月、東京市東淀橋区諏訪町241 横田方に下宿。 3月、東京美術学校日本画科卒業(修業年限5ヶ年)。卒業成績作品。 ※画題「菊花讃頌」二曲屏風二双連作、外務省政務次官瀧正雄氏買上 4月、東京美術学校日本画科研究科入学。 5月、東京市淀橋区諏訪町216 中村方に下宿。 12月、東京市本郷区宮永町14 太田義直方に下宿。 |
1月、ヒトラー、ドイツの首相に 2月、長野県教員赤化事件 2月、小林多喜二が逮捕され、虐殺 3月、杉山寧『野』卒業制作主席 バウハウス、ナチスにより閉校 |
昭和9年 1934, 24~25歳 |
8月、東京市淀橋区戸塚町4-847 宇都宮新方に下宿。 10月、愛知社主催東都在住作家日本画展覧会出品。 ※画題「麗人散策」衝立、公爵近衛文麿氏買上 |
1月、東京宝塚劇場開場(日比谷) |
昭和10年 1935, 25~26歳 |
1月、東京市淀橋区戸塚町4-781 二村光三方に下宿。 3月、東京美術学校研究科卒業(修業年限2ヶ年)。 4月、東京・私立川村女学院美術科講師、並びに常任幹事職員。 同僚の宮内秀雄氏(コンサイス英和辞典の編者で知られる英文学者)と親交を深める。 11月、愛国生命保険株式会社(社長原邦造氏)の委嘱に依り壁画製作。 ※画題「奏楽」竪、幅共ニ十尺 |
11月、正木記念館落成 11月、九鬼周造 著『「いき」の構造』 文相松田源治、美術界の挙国一致体制を整えるため、帝国美術院改組を発表 |
昭和11年 1936, 26~27歳 |
7月、東京市淀橋区戸塚町4-572 宮澤説成方に下宿。 茅野さだゑと出会う。 |
聖徳記念絵画館壁画完成式(外苑) |
昭和12年 1937, 27~28歳 |
3月2日、茅野さだゑと結婚。東京市淀橋区西落合1-279 に転居。 5月、(株) 東宝劇場(社長小林一三氏)の委嘱に依り同劇場階段ホール壁画製作。 ※画題「薫風」=騎馬婦人群像図、竪十尺、幅十八尺 |
横山大観、文化勲章受章 |
昭和13年 1938, 28~29歳 |
6月、第一回現代美術展覧会出品(※画題「壁畫に集ふ」竪十尺、横十二尺)。 10月23日、父・貝二、死去(享年70歳)。しばらく北方村中島へ帰省。 12月、東京市品川区大井出石町5158 塩長廣方(東京美術学校同級生)に金猊のみ下宿。 弟・末太郎出兵。 |
3月2日、松岡映丘、死去 |
昭和14年 1939, 29~30歳 |
1月、東京市杉並区高円寺6-730 野田義也方に金猊のみ下宿(さだゑは諏訪に帰省)。 1月、東京市豊島区目白町1-1116 目白荘67号に転居。 3月23日、弟・末太郎戦病死(享年24歳)。北方村で村葬。 6月28日、三鷹金猊居設計平面圖を金猊本人が表図。 夏、三鷹金猊居地鎮祭。鳶頭長島の玉串。 11月3日、下落合から金猊居(北多摩郡三鷹村下連雀303番地)に新築転居。 |
文部省に法隆寺壁画保存委員会設置 |
昭和15年(1940) | 川合玉堂、文化勲章受章 | |
昭和16年 1941, 31~32歳 |
4月9日、母・みわ、死去(享年63歳)。 |
12月、太平洋戦争始まる |
昭和17年 1942, 32~33歳 |
1月、東京・私立帝都学園高等女学院教諭(同年3月退職)。 5月、戦争のため、一時的に三鷹から浦和に疎開。浦和市仲間5-38 和巧荘。 4月、埼玉県立浦和第一高等女学校教諭。 |
大東亜戦争美術展 |
昭和19年 1944, 34~35歳 |
2月、妻さだゑの実家・上諏訪にて長女・美鷹誕生。 6月、浦和市岸町3-10 県立浦和第一高等女学校内に転居。 11月17日、弟・了二、戦没(享年26歳)。 |
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昭和20年 1945, 35~36歳 |
12月、埼玉県立浦和第一高等女学校高等官待遇(内閣)、地方教官二級。 |
8月15日、玉音放送で終戦が告げられ第二次世界大戦終結 |
昭和21年 1946, 36~37歳 |
4月、*東京美術学校日本画科講師。 10月、浦和日本画家協会幹事並びに浦和市文化連盟会員。 11月、次女・鏡子、浦和にて誕生。 |
第一回日展 正倉院御物展(奈良国立博物館) |
昭和22年 1947, 37~38歳 |
1月、疎開先の浦和から三鷹の金猊居 北多摩郡三鷹村下連雀303番地に戻る。 4月、東京美術学校講師 工藝科勤務。 |
第一回日本アンデパンダン展 東山魁夷『残照』 |
昭和23年 1948, 38~39歳 |
4月、新制神奈川県立神奈川工業高校教諭 工芸図案科勤務。 |
安田靫彦、文化勲章受章 |
昭和24年(1949) | 5月、東京藝術大学設置 | |
昭和25年(1950) | 文化財保護法公布 小林古径、文化勲章受章 東山魁夷『道』 |
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昭和26年 1951, 41~42歳 |
住所記載名変更。東京都三鷹市下連雀303番地に。 |
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昭和27年(1952) | 3月、東京美術学校、東京藝術大学美術学部となる 6月30日、川合玉堂、死去 |
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昭和30年(1955) | 前田青邨、文化勲章受章 | |
昭和34年 1959, 49~50歳 |
9月26日、伊勢湾台風により北方村中島の生家が半壊。 10月、帰省。 |
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昭和39年 1964, 50~51歳 |
4月13日、東京美術学校同窓会「八年会」(東京目白・椿山荘)。 | 杉山寧『穹(きゅう)』 |
昭和40年 1965, 55~56歳 |
4月、神奈川工業高校工芸図案科と木材工芸科を改変、新たに産業デザイン科となる。 |
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昭和41年(1966) | 山種美術館開館 | |
昭和43年(1968) | 1月29日、藤田嗣治、死去 | |
昭和44年(1969) | 東京国立近代美術館開館(竹橋) 東山魁夷、文化勲章受章 |
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昭和45年 1970, 60~61歳 |
4月、大阪万博、京都大原寂光院・三千院を視察。 11月、長女方に初孫・隆人、誕生(三鷹市村越産婦人科にて)。 |
3月〜9月、日本万国博覧会(大阪) 3月31日、よど号ハイジャック事件 11月25日、三島由紀夫割腹自殺 |
昭和46年 1971, 61~62歳 |
3月、神奈川県立神奈川工業高校を定年退職。 | 日清カップヌードル発売 |
昭和47年 1972, 62~63歳 |
2月、次女方に孫・晴子誕生。 3月〜6月、東村山市緑風荘に入院療養。 |
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昭和48年 1973, 63~64歳 |
5月、長女方に孫・安理亜誕生(三鷹市村越産婦人科にて)。 | |
昭和49年(1974) | 杉山寧、文化勲章受章 | |
昭和50年 1975, 65~66歳 |
住所記載名変更。東京都三鷹市下連雀3-40-2に。 |
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昭和51年 1976, 66~67歳 |
4月、次女方に孫・真弘誕生。 | 松田権六(漆芸)、文化勲章受章 |
昭和54年 1979, 69歳 |
7月12日、心筋梗塞のため武蔵野市日赤病院にて死去(享年69歳)。 | 2月、第二次オイルショック 7月、ソニーがウォークマン発売 12月、ソ連のアフガニスタン侵攻 |
平成5年(1993) | 10月20日、杉山寧、死去 | |
平成7年 1995 |
11月12日、妻・さだゑ、脳梗塞で三鷹市篠原病院に療養中、肺炎を併発し死去(享年87歳)。 | 1月17日、阪神・淡路大震災 3月20日、地下鉄サリン事件 |
平成9年 1997 |
6月18日〜22日、「≪所有≫の所在」展(三鷹市美術ギャラリー)。 ※屏風「壁畫に集ふ」の完成作とその下絵を並置 10月22日〜26日、丸井金猊とその周辺の人たち展(三鷹市美術ギャラリー)。 ※当時発見済みの全作品リソース約60点をゆかりの人々の作品と共に公開 |
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平成11年 1999 |
1月8日〜17日、飛高堂表装 丸井金猊展(ぎゃれりぁ飛高堂)。 ※飛高堂が表装を手掛けた8点の作品を展示(三鷹市) 3月15日〜19日、丸井金猊展 〜「閉ざされた成熟」のなかで(東京マリンギャラリー)。 ※約50点を展示(東京丸の内) |
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平成12年 2000 |
11月9日〜13日、浦和第一女子高等学校創立百周年記念美術・書道展(伊勢丹浦和店7階アートホール)に記念展事務局の依頼により『鷺圖』を出品。 | 5月、プーチン、ロシア大統領就任 |
平成14年 2002 |
10月4日〜10月13日、「家の中の金猊」展(三鷹金猊居)。 金猊居解体前に金猊の設計した家そのものを展示空間として作品約40点を展示・公開した。 |
6月、日韓共催 FIFAワールドカップ |
平成15年 2003 |
8月5日、金猊最後の兄弟姉妹である妹・八恵、愛知県江南市の病院にて死去(享年91歳)。 12月2日、谷中M類栖、地鎮祭。 |
1月20日、第65代横綱貴乃花引退 1月29日、朝青龍が第68代横綱に昇進 |
平成18年 2006 |
10月15日〜22日、丸井金猊リソース ver1.0(谷中M類栖/1f)。 ※谷中芸工展参加企画(作品10点展示) |
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平成19年 2007 |
10月12日〜14日、丸井金猊リソース ver2.0(谷中M類栖/1f)。 ※谷中芸工展参加企画(作品8点展示) |
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平成20年 2008 |
4月26日〜6月1日、特別展「いまあざやかに 丸井金猊展」(一宮市博物館)。 ※初の公的機関による企画展で、58作品が所収された図録も作成された(展示は約70点) |