丸井金猊 デザイン教師の貌

丸井金猊「デザイン教師の貌」展を終えて

Kingei Resources vol.12 / ver5.0

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芸工展2010「丸井金猊 デザイン教師の貌」芸工展に参加して五回目を数える今年の金猊展。
去年の丸井金猊「生誕百年」展に続き、今年も来年創立百周年を迎える神奈川県立神奈川工業高校(通称・神工)を祝しての記念展示となりました。来年なのに今年行ったのは主催者(m-louis)毎度の早合点ミスによるものです(汗)
芸工展の申込みをしてから今年はでなく来年だと気づき、今さら企画変更するよりは2年連続で同趣旨企画を続けた方が企画自体の厚みが増すと開き直りました。というわけで、来年も谷中M類栖/1f では同趣旨の企画で、卒業生の作品点数を増やしての展示を行いたいと考えています。

今年の会場では挨拶文を開催3日目から用意しました。2日目までにお越しいただき、ご覧になられていない方々のためにも、以下に再掲いたします。

ごあいさつ

「谷中M類栖/1f」が毎年秋の芸工展に参加し、日本画家・丸井金猊の遺作をリソースとして紹介しはじめて、今年で5回目の展示(丸井金猊展としては13回目)となります。

金猊は東京美術学校(現 東京藝術大学)日本画科を昭和8年(1933年)に卒業。在学中より頭角を現し、愛国生命保険(のちの日本生命保険)や東宝劇場階段ホールの壁画製作など画家として活躍の場を得ますが、20代後半に時代は戦争へと暗転。直接の理由は不確かながら画業からは離れ、神奈川県立神奈川工業高校工芸図案科(のちの産業デザイン科)の教師として後進の育成にあたり、デザイン教育にのめり込んでいきます。

その神奈川工業高校(通称:神工)が来年創立百周年を迎えるということで、今年と来年は金猊のデザインワーク(今年は屏風も展示)と共に、マルキンと呼ばれた金猊が直接指導した神工卒業生の作品を2年連続で展示して「祝・神工百周年!」としたいと思っています。

展示にあたっては、昭和45年卒(1970年)の卒業生「どくだみ草」の皆様の大いなる協力を賜りました。展示物のご出品等、快く引き受けてくださいました卒業生の皆様と共に厚く御礼申し上げます。来年もまた神工百周年の展示を行う予定です。マルキンに直接指導を受けられた神工卒業生で、出品ご希望の方は気軽にお声掛けください。

   芸工展2010参加プロジェクト「丸井金猊 デザイン教師の貌」  主催 谷中M類栖/1f

以上、今年の展示の最大のポイントは金猊のリソース以外、すなわち神工卒業生の作品が展示されたことで、これは谷中M類栖/1f としては初めての試みとなります。1997年に三鷹市美術ギャラリーで開催した「丸井金猊とその周辺の人たち」展でも、周辺の人たちということで5人の神工卒業生(それも東京アートディレクターズクラブ会員の重鎮ばかり)に出品をお願いしました。その際、浅葉克己氏、勝岡重夫氏の両氏からは展示したポスター作品をそのまま貰い受けていて、それがあって今回の企画は短い準備期間でも立てられたと言えます。

芸工展2010「丸井金猊 デザイン教師の貌」昭和33年(1958年)卒、工芸図案科第八期生の浅葉克己氏の学年は金猊が担任で、同期には「丸井金猊とその周辺の人たち」展に出品をお願いした村瀬秀明、柳町恒彦氏と、浅葉氏の言葉を借りれば「ぼくを含め高校の同級生三人が東京アートディレクターズクラブの会員というのは、ちょっと他にはないだろう(※1)」というクラスで、戦後間もなく新生・工芸図案科一期生7名と何もないところからスタートを切った金猊にとっては、教育体制も整い、年齢的にも油の乗った頃(49歳)だったのだろうと思われます。
浅葉克己コーナー浅葉氏の事務所独立は昭和50年(1975年)。昭和54年にこの世を去った金猊もその活躍ぶりは目にしていたことでしょう。ただ、その後アートディレクターとして日本を代表するような存在にまでなられるところを見届けられなかったのは残念というほかありません。
13年ぶりに展示した長野オリンピックの公式ポスターは「あ〜、あのときの...」と懐かし顔でお客さんに迎えられました。展示したのは道路側の水屋箪笥が置いてあって通常よりも作品を高めに展示しないとならないスペースでしたが、ちょうどスキージャンパーが飛んでくるかに見える高さとなって、箪笥両脇の行器(ほかい)ともマッチした緊張感のある空間となりました。また、年賀状のコーナーでは手製の飛び出す絵本ならぬフクロウの飛び出すポストカードを展示。名前を伏せて展示していたので、多くの方は気付かなかったと思いますが、こっそりそれが浅葉さんによるものと教えた何人かの方はびっくりされると同時にたいへん関心を払われて、フクロウの瞬きを手にとって楽しんでおられました。

勝岡重夫コーナー勝岡重夫氏は浅葉さんたちの一つ学年下の昭和34年(1959年)卒の第九期生。企業CIを語るうえでは欠かせないデザイナーのひとり(※2)です。『Design Automation』というポスター再展示の承諾を得るため連絡したところ、『デパーチャー(departure)』というアート作品シリーズ2点をさらに送ってくださるということになり、勝岡作品の中でも毛色の違う作品をお見せすることができました。
『デパーチャー』は氏が敬愛するアーティスト26人の代表作と、AからZのタイポグラフィを絵画イメージとあわせてデザインしたコラージュ作品とのこと。我が家には「C」のカッサンドル(Cassandre:フランス出身のアール・デコを代表するグラフィックデザイナー)と「K」のカンディンスキー(Vassily Kandinsky:ロシア出身の抽象絵画の創始者とされる画家)が届きました。見た瞬間に金猊リソースとの近似性を強く感じ、屏風の隣、それもこれまでは屏風を展示してきたメインの壁面側に勝岡さんの作品を並べ、屏風は角のスペースに回すことにしました。お客さんが玄関を潜って最初に目にする光景として、見応え充分だったと思っています。

井戸端耳鳴コーナーそして、このお二人以外で、今回出品をお願いしたのが昭和45年(1970年)卒、学科名も産業デザイン科(※3)に変わっての第二期生、どくだみ草(※4)のメンバーです。2008年に谷中M類栖が突撃取材「丸井先生のギャラリー取材1」「丸井先生のギャラリー取材2」を受けたことはこちらの記事でも紹介しました。その後、芸工展にもお見えになられ、メンバーのお一人、櫻井徹氏とはアドレス交換をしていたので相談も持ち掛けやすく、メンバーへの出品依頼と連絡をお願いする運びとなりました。

その櫻井さんは「どくだみ草」が制作したDVD映像の制作責任者ということで、『どくだみ草ワクワク不惑号 師の帰還 episodo1 谷中(丸井先生)』の映像を井戸端耳鳴名義の作品として会期中ディスプレイでループ放映しました。また、展示設営準備の模様なども今回新たに撮影していただいているので、また映像面でお世話になるかもしれません。

荻野幸夫コーナー荻野幸夫氏はお仕事で制作されたロゴタイプを4点ご出品いただきました。金猊は一年生時からレタリングの基礎指導に重点を置いていたようで、荻野さんのお仕事はまさにその真骨頂と言えるものではないでしょうか。

その一年生時の授業課題をそのままご出品いただいたのが豊島信彦&茂代ご夫妻、即ち同級生カップルのお二人で、多くのお客さんが高校一年生でこれだけのものを!と感心されていました。ちなみに信彦さんによると、金猊はレタリングの書体に小手先の装飾を施すことを好まなかったそうで、当時、生徒さんたちは金猊がどのような配色を好むのか、例えば着ている服などを観察して考えられたそうです。

芸工展2010「丸井金猊 デザイン教師の貌」また、茂代さんの作品はまず植物の葉を写生して、それをベースにデザイン構成するというもので、展示期間中に偶然立ち寄られたデザインジャーナリストの藤崎圭一郎氏が最近のデザイン教育では「写生」というモノを捉える基本的な指導が抜けていることが多いと、当時の教育カリキュラムに大変関心を払われておられました。

その藤崎氏は実は神工工芸図案科昭和41年(1966年)卒の宮田識氏をインタビューされた『デザインするな』という本を書かれていて、54ページ「高校時代」の項では金猊の名前も出てくるということから、その書籍を進呈くださいました。早速そのページを開いて期間中木製家具の上に展示。宮田さんと藤崎さんの刊行記念インタビューが丸善のウェブサイトで読めますので、是非ご一読ください。

山岸久夫コーナーロゴタイプやレタリング作品の下には、多くのお客さんにとって最もお馴染みの作品を展示しました。30年前より東洋水産『赤いきつね』を担当して来られた山岸久夫氏の手掛けられたマルちゃんのカップ麺『赤いきつね』と『黒い豚カレー』の蓋パッケージの刷り物です。実は事前のやりとりで食品モノのパッケージは派手なので展示内容に合わないのでは?と遠慮気味にお話されていたのですが、話を伺った段階で今回の目玉展示になるだろうと予感し、事実、最も多くのお客さんの心をつかんだ作品となりました。芸工展ではスタンプラリー目的でやってくる小学生も『赤いきつね』だけは特別なようで、「これは?」と何度か質問されました。来年の展示ではこうした老若男女問わず日常の中で誰もが目にしているけれども、そのデザインを誰が考えたのかは知らない、そんな仕事を紹介する機会がもっと増えたらと思っています。

最後に紹介する阿部信雄氏からはデザイン関連の作品ではなく『マルキンさん』というタイトルのテクストが届きました。ご本人によれば、相撲で言うところの「猫だまし」みたいな手での出品ご協力ということで、縦書きの文書2枚を上下にしてA3パネルに張って展示しました。その内容はこちらで読めます。「丸井金猊とその周辺の人たち」展のときにも出展者やその周辺の卒業生にエピソードをお願いしましたが、図案科初期の卒業生ばかりだったので、産業デザイン科になってからの阿部さんのメッセージは遺族にとっては新鮮でした。

どくだみ草メンバー以上の出品者に松本一氏を加えた「どくだみ草」メンバーが、開催前夜に谷中に集合し、展示設営準備の手伝いに来てくれました。そこでの皆さんのやりとりを見ていると、作業上の役割分担も阿吽の呼吸で決まっていて、こんな言い方をしては失礼かもしれませんが、どこかしら高校時代のままの空気感が漂い、そこにマルキン先生がいつ現れてもおかしくないような錯覚を覚え、私にとっては知らないはずの時空間をなぜか懐かしく感じるという不思議な体験をすることになりました。

芸工展2010「丸井金猊 デザイン教師の貌」そして、こうした時間の共有によって、自分の中の憶測で出来上がりつつあった金猊像の一つがぐらっと揺らぎました。これまで「日本画家・丸井金猊」という大前提で金猊を捉え紹介する活動をしてきたため、教師時代の金猊は云わば不遇を託っていた時代という認識で形骸化してしまっていたのです。しかし、金猊にとってデザイン教師という仕事は、その始まりは画家の道を断念してのものだったのかもしれないけれども、その志はリニアに画業と繋がっていた(閉塞した日本画よりも未開の商業デザインにむしろ可能性を見出していたのでは?)と思えるようになりました。

芸工展2010「丸井金猊 デザイン教師の貌」金猊がなぜ筆を置いたのか──身内にもわからないその謎を現在、美術史家の手を借りて繙く作業を行っています。1930年代から終戦までの社会的動乱期に金猊は何に落胆失望し、何に希望を見出したのか。その確たる手掛かりが掴めたらまた別の形で発表する機会を得たいと思っていますが、少なくともその希望の側にデザイン教師としての険しくはあれども明るい道筋が見えていたことは本展を通して確信に近づいたように思います。

ZUAN 圖案最後に神工卒業生作品を見守るような位置取りで展示された金猊リソースを紹介します。玄関側から『寿』『謹賀新禧(初出)』のデザインワーク、正面壁面の勝岡さんの作品下には左から『背高箱』『高床箱』『六脚箱』『ロケット箱』の家具(これらは工芸図案科の隣の木材工芸科の工房で作られたのでは?とのこと)、正面右の角には屏風『観音前の婚姻圖』。その下にはこれまた金猊が制作した長テーブルを置き、その上に金猊が年賀状や季節の挨拶向けに色紙を切り貼りして作ったと思われるポストカード。テーブル横の火鉢の上にはZUAN圖案(※5)の吉田功氏による「いまあざやかに 丸井金猊展」レポートの掲載された2008年6月号『Web Magazine No.13』の紙面。そして光庭側の階段スペース角のところにちょっと遠くにはなりますが、『鷺圖』を展示し、ディスプレイでは2008年一宮市博物館で開催された「いまあざやかに 丸井金猊展」後に市が作成した金猊紹介映像と「どくだみ草」映像を交互にループ放映する形を取りました。

谷中M類栖/1f/entranceまた、一宮市博物館から「いまあざやかに 丸井金猊展」後にいただいたものの、なかなか陽の目を浴びることのなかった『壁畫に集ふ』原寸微小の巨大ポスターが臨時搬出入口の開口部に「どくだみ草」メンバーの協力を得て嵌め込まれ、前を通る通行人への非常に大きなPRの広告塔となってくれました。一宮市博物館と「どくだみ草」メンバーにはこの場を借りて改めて御礼申し上げます。


註記

※1)「tea time わが母校──質・量ともに大学レベルに達していた図案科」と題する雑誌のコラムと思われるスペースに掲載された浅葉克己氏の文章より引用(雑誌名・掲載時期不明)

※2)Desiner's Interview Vol.09 勝岡重夫「いいデザインは、目で触って心地よい」(王子製紙ウェブサイト)より引用。このインタビューの4ページ目で『デパーチャー』シリーズについても触れられています。

※3)産業デザイン科への学科名変更は、当時まだ大学でもどこにもデザイン科という学科名がない時期だったため、文部省から認可を得るのに大変苦労したと聞きます。今回の展示中に神工卒業生から教えてもらって初めて知ったのですが、金猊は認可を得るためにカタカナ名のガソリン科(もしかするとガソリン課)を探し出してきて、それを引き合いに日本で最初のデザイン科という学科を創設したそうです。

※4)どくだみ草は神工昭和45年(1970年)卒の卒業生たちによる飲み仲間創作集団。同人誌の発行からDVDでの映像制作まで行い、本展ではワクワク不惑号と同梱DVDの映像を一部見せる形を取りました。→ブログ「どくだみ草

※5)ZUAN圖案は浅葉克己氏が発起人となって始まった神工卒業生を中心とするクリエイターのための文化的活動グループで、会員には「ZUAN図案Web-Magazine」の送信を行っています。→ウェブサイト「ZUANZUAN

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漂泊のブロガー2「芸工展2010:丸井金猊 デザイン教師の貌(かお)
さるさる日記 - フリーライター井上理津子のなんだかんだ日記「2010/10/16
Twitter: @fujisaki_k「藝大のご近所の谷中M類栖/1fで〜

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